広島2010(2):吉田郡山城(上)
(広島2010(1)から続く)
柏木ヲタというわけではないので安芸高田の話題は一回で切り上げて、肝心の吉田郡山城へ歩を進めます。
山城ですが案内図・案内板の類が非常に充実しており、しかも登城ルートもよく整備されているので、手元にガイドマップがなくても道に迷う心配は全くありません。
歴史民族資料館脇から登り始めてすぐの「少年自然の家」に毛利元就が晩年を過ごしたといわれる御里屋敷跡。但し、1991~92年に行われた試掘調査では屋敷跡を裏付けるような遺構、遺物は見つからなかったとのこと。
ちなみにNHK大河ドラマ「毛利元就」が放映されたのは1997年なので発掘調査は大河ドラマとは関係なさそう。
傍らに元就の銅像が立っていますが、謀略・謀殺の天才として有名な元就ゆえ甲冑姿には違和感。
三矢の訓跡碑。「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」。サンフレッチェの語源(?)としても有名ですが、実話ではなく創作だというのが定説。
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一部水害による土砂崩れのつめ跡が。
毛利元就火葬場跡
毛利元就墓所入口。当の元就が葬られているのみならず、明治になってから吉田城内、城下にあった毛利一族の墓がこちらに移葬されています。
百万一心の碑。吉田郡山城の工事の際に毛利元就が人柱の替りに「百万一心」と彫らせた石碑を埋めたとの言い伝えが残っています。もっとも現在建てられているのは石碑の現物ではなく、その拓本を模刻し建設したものです。
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