2010年暮れのG大阪(5):山崎界隈(上)
(2010年暮れのG大阪(4)から続く)
中山 10:46 (阪急電鉄 5117) 10:55 池田
池田 11:35 (阪急電鉄 7688) 11:51 十三
十三 11:53 (阪急電鉄 9805) 12:12 高槻市
高槻市 12:13 (阪急電鉄 8815) 12:20 大山崎
中山寺から阪急電車を乗り継ぎ、大阪府を素通りして一気に山崎へ。ちょうど大阪の北西端から北東端に動いた格好。
阪急大山崎駅から10分ほど西国街道沿いに北へ歩くと「山崎聖天」の鳥居があります。
天王山と男山に挟まれた山崎は東海道屈指の交通の要衝。手前に阪急。その向こうには東海道本線(青い電気機関車が見えます)。写真では判りませんが東海道新幹線や高速道路も山崎に集まってきます。
仁王門へと続く石段。
山崎聖天の正式の寺号は「観音寺」。899年(昌泰2年)に寛平法皇(宇多天皇)により創建されたとされるものの、その後衰退。江戸時代初期に再興されたものの、幕末には禁門の変に巻き込まれ、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失。
従って現在の建物は明治時代に再建されたもの。
本堂。ご本尊は十一面千手観音菩薩ですが、「山崎聖天」の通称どおり、聖天(歓喜天)信仰のほうが遥かに盛んで、本堂の隣の聖天堂で聖天が祀られています。
山崎聖天の境内裏から天王山山頂へと続くハイキング道に合流。
山崎は明智光秀と羽柴秀吉が覇権を争った合戦の舞台。山の中腹に記念碑が立っています。
旗立松。山崎合戦の時、秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げたとの逸話が残っています。
もっとも枝ぶりで判るように枯れては植え、枯れては植えの繰り返しで、現在の松は6代目。
旗立松から京都方面を望む。
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