2010年暮れのG大阪(6):山崎界隈(中)
(2010年暮れのG大阪(5)から続く)
十七烈士の墓。幕末、京都市街で長州軍と幕府軍が激突した禁門の変(1864年)の後、敗走する長州軍を見送ってから天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓です。山崎の地が戦国史だけではなく幕末史にも出てくるのはちょっと意外かも。
山頂近くにある通称「酒解神社」。正式には自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ) 。もともとは「山崎天王社」だったそうで、天王山の名称はこの神社に由来。
神輿庫。三角柱を重ね合わせた校倉形式ではなく、厚板を積み重ねた板倉形式の神輿庫の例は少なく、その中でも鎌倉時代建立の当庫は最古とのこと。
苦労して山頂に到着しましたが、これといったものは何もなく、眺望もとりたてて良いわけでもありません(´・ω・`)
旗立松から先の要所要所には、山崎合戦以降の秀吉の足跡を挿絵付きで 記した解説が立っています。
山を下る途中、大阪方面の眺望が少し開けました。桂川・宇治川・木津川が山崎で合流して淀川となります。
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