【奈良散策】大和郡山城
(高取城&壺坂寺(4)から続く)
筒井 7:09 (近鉄 8151) 7:12 近鉄郡山
一夜明けて、 早朝から大和郡山城へ。
大和郡山城は筒井順慶が砦規模の城を本格的な戦国城郭へと修築を開始したのと手始めに、豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石の太守として入城し、城の修築も本格化。その後増田長盛がいったん城を完成させています。
城は近鉄郡山駅の北に位置し、二の丸には郡山高校が建っています。
郡山藩は、甲府藩主の柳沢吉里(=父がは徳川綱吉の側用人・柳沢吉保)が15万1000石で入り、柳沢氏6代の支配を経て、明治維新を迎えています。
本丸内には柳沢神社がありますが、これは柳沢吉保・吉里親子を祀ったもの。
巨大な天守台が残っていますが、上にどのような天守が建っていたのかは不明。
奈良は石材に乏しい土地柄のため、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発されて石垣石として使用されました。中には逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵もあり、「逆さ地蔵」と呼ばれています。
天守台に登ってみました。左に見えるのは市民会館。右側にちょこんと頭を出しているのは追手向櫓。
城郭外へ出て追手向櫓と大手門を観察。ともに1980年代に復元されたもの。
こちらは同じく1980年代に復元された追手東隅櫓。
大和郡山城は桜の名所としても有名で、桜の季節の様子を別エントリーに掲げていますので参考まで。
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