【奈良散策】高取城&壺坂寺(2)
(高取城&壺坂寺(1)から続く)
壺坂口中門跡。
高取城は一時廃城になっていたものを「洞ヶ峠」で有名な筒井順慶が復興。その後本多利久・俊政親子が城郭を整備して、江戸期には植村氏が14代にわたって支配しました。
高取城の特徴は、山城にもかかわらず広い敷地を持ち、石垣、天守、櫓、門、殿舎などが築かれていること。
大手門。
山城の天守や櫓、門、石垣はどうしても火災や風雨による災害に遭いやすく、いったん災害に見舞われると往々にしてそのまま放棄されがち。ところが、高取城は3代将軍家光より「一々言上に及ばず」という許可があり(江戸期は幕府の許可なく城郭の修復ができません)、それで江戸時代を通じて各建物の存続と完備ができたとの話も。
もっとも山城は不便なのはどうしようもなく、寛永末期から藩主・家臣団の移転が始まり、城には城番が置かれるだけだったとのこと。
それなら城郭も修理せずに放棄すりゃええやんと思いますが、その辺は「プライド・オブ・高取」だったのかどうか・・・
十三間多聞跡。
高取城には22基の櫓、5つの多門櫓があったとか。
新櫓跡。最近積み直されたのか、全くと言っていいほど草木はおろか、苔さえ生えていません。
太鼓櫓跡。
天守台。ここに三重の天守がそびえ、多門櫓を介して小天守が連結。城郭といい、天守といい、たかだか2万5千石の極めて小さい石高しかない高取藩には過大だったような・・・
ようやく本丸に到着。日本屈指の山城ですが、登城ルートは格好のハイキングコースにもなっているようで、本丸ではお弁当を広げる中高年の団体がそこかしこに。
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