エジミウソンの思い出
・16:40からと告知されていた退団セレモニーが予定より遅れたのか、スタジアム入りした頃にはエジが北ゴール裏を回っている最中。ほんのちょっとですが、エジの最後の挨拶を目にすることができました。
・エジがやってきたのは2008年。今年はともかく、08~10年は得点という数字だけ取ってみれば外国人FWとしてそんなに悪いパフォーマンスではありません。しかし、エジの在籍期間が浦和の衰退期と丸被りしてしまってその責めを負わされがちな上、如何せん前任者(ワシントン)が凄すぎて、比較されるとどうしても見劣り感は否めず、非常に気の毒な役回りだったと思います。
・エジの浦和移籍後初ゴールはナビスコ杯京都戦@西京極でしたが、ハットトリックを決めたにも関わらず、ドローゲームに終わったこの試合がその後のエジの不運を暗示していたのかもしれません。
・3人もの監督(オジェックはカウントしない)に仕えたものの、一度もエジの得意な形で起用されず、ずっと不完全燃焼に終わったような気もします。エジは前にスペースがある状態で最も活きるFWで、浦和移籍後リーグ戦初ゴールとなった清水戦@日本平のような玉際で競り勝った後スピードでDFを置きざりにするパターンが最も得意。フォアチェイスをさぼらない選手なので、相手DFの凡ミスを突いてそのままゴールというのもしばしば。
・しかし、ポストプレーはどうにも苦手。フィンケは攻撃の基点とすべく、エジへのくさびのボールを多用しましたが、エジにボールが入ったところは完全に相手DFに狙われていてしょっちゅうボールロスト。しかもフォアチェックはしないといけない、さらにはフィニッシャーとして最前線に顔を出さないといけないと、エジのタスクは超過重。エジがフィニッシュのときにはヘロヘロになっていて好機で外しまくるのは当然といえば当然・・・ 逆にあれだけ酷使されてよく16~17点取れるわと感心します。
・ペトロビッチの起用法は最悪でした。独力でなんとかするタイプではないのに、エリア内中央でデンと構えてシュートを決めろっていう注文自体無理筋もいいところ。相手DFにマークされていてもそれを振り切ってゴールを決められるCFなんて日本にはまず来ないって。
・従ってエジの活用には近くにフォローする味方が必要ですが、どういうわけか高原とのコンビは全く噛み合わず、「絶望2トップ」との悪名を頂戴する羽目に。どちらも足元でボールを受けたがり、どちらもDFライン裏への飛び出し意識が薄いせいかもしれませんが、ゲルトもフィンケも高原とのコンビ熟成を試みながら最後までものにならず。
・移籍初年に明らかに太めの体形でキャンプにやってきたのも、その後の悪印象に繋がったのかも。マクドが大好きとの噂が絶えず、しかも皮肉なことにマクドの賞品がついた2011年は大不振。
・今季の大不振はどう見ても使い方に間違いがあるのに、今季途中でカタールへ売却。直後にランコ・デスポトビッチ選手の獲得が決定したため、FWの入れ替えが主眼なのか、専ら金目当てでFWの入れ替えは泥縄に過ぎないのか事実関係が判りにくくなりましたが、私は後者だと思います。
・チーム得点王だっただけではなく、FWとしてリーグ屈指の成績を上げたにも関わらず、浦和では人気がなく、最後は不本意にも売り飛ばされてしまったエジミウソン。本人の人柄が良さげなだけに、あまりにも気の毒な浦和での選手生活でした。
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