紀州紀行(5・了):槇尾山施福寺
(紀州紀行(4)から続く)
あくる日は大阪・和泉市にある西国三十三箇所四番札所「槇尾山施福寺」へ。もはや紀州ではありませんが、その辺はご容赦。
和歌山 7:44 (モハ224-5008) 8:26 和泉府中
40年間、全く変わり映えがない和泉府中駅前。和泉市の経済的な中心地を和泉中央に奪われて久しいんですが、依然再開発の動きは見られず。駅舎もほったらかし。
府中車庫前 8:50 (南海バス) 9:27 槇尾中学校前
和泉府中駅から少し西に外れた府中車庫前から南海バスに乗り換え。開かずに踏み切りを解消すべく阪和線をアンダークロスする道路を建設中で、行政もまったくやる気がないわけではなさそう。
槇尾中学校前 9:40 (オレンジバス) 9:52 槇尾山
槙尾中学校前で、和泉市が運営する「オレンジバス」に乗り換え。このバスが出来てから施福寺参詣は随分楽になりました。以前は槙尾山口バス停から歩いていたそうで。
もっともこのバスは日曜こそだいたい1時間に一本出ていますが、平日及び土曜はぐっと本数が減るので注意。すれ違うのがやっとの細道を行くせいか、対向車、あるいは歩行者向けに「お猿の駕籠屋」を流しながらの運行。
施福寺まではバス停から約30分の道のり。
最初は舗装された参道を登りますが、進むに従って坂がきつくなります。なんで石段にしなかったのか不思議なくらいで、実は全行程を通じて一番しんどいかもしれません。登り始めなので苦にする人はいないと思いますが。
施福寺にも道標がありますが、麓が八丁で登るに従って数値が減ってゆきます。初めて来る人でもあとどのくらい残っているかが一発で判る点で、数値が増えるタイプよりも合理的。
六丁にある施福寺山門。施福寺は参拝無料。というか、本堂以外で人影を見かけず。
山門からは自然石の石段が続きます。山の上にあるお寺にありがちなことですが、ここも手軽なハイキングコースと化しており、まだ午前中というのに続々と山から老若男女が降りてきます。
最後は石段に。
弘法大師剃髪所跡。御堂は修復工事中。793年(延暦13年)弘法大師20歳の時、この寺に住む奈良大安寺の高僧勤操を慕って訪れ、剃髪得度したとのこと。
弘法大師御髪堂。
施福寺は欽明天皇の命を受けて、播磨の国の行満上人が弥勒菩薩を本尊として創建し、航海安全祈願の道場として発展。
本堂前は広場になっていて展望所をも兼ねていますが、残念ながら金剛山など山の方角を向いていて市街地は全く見えないのでさほど面白くはありません。ベンチでは中高年ハイキング団体が朝から宴会(苦笑)。
この寺もどういうわけか信長の焼き討ちにあって諸堂焼失。こうなると信長に焼かれた歴史があること自体が「一級の証」「信頼と実績の信長ブランド」みたいな。
境内に茶屋があります。「あまざけ」が売り物みたいですが、ニーズなし。
山を降りて槙尾山観光センターでビールを一杯。昭和から時が止まっているような一角ですが、女将さんが暖房の効いた店内に入れてくれた上に、コップを出してくれました。そうこうしているうちに娘と婿養子(?)が買い物から帰ってきて店内は妙に賑やかに。。
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