ごらんアウェー:C大阪2011(1)~今井の町並み
東京 6:43 (のぞみ201号 786-53) 9:01 京都
京都 9:10 (近鉄 30108) 10:02 大和八木
大和八木 10:11 (近鉄 9121) 10:11 八木西口
セレッソ戦観戦をきっかけにした今井町→當麻寺→高野山と巡ってきた時の記録です。
ぐるりと堀に囲まれ、中世の町並みが残る橿原市今井町。もともとは称念寺を中心とする寺内町で、戦国時代には石山本願寺等に呼応して要塞を築いて織田信長に反抗していました。
結局降伏を余儀なくされたものの、明智光秀と親しい堺の豪商津田宗及の斡旋で、武装放棄を条件に町の自治的特権が認められるという非常に寛大な条件で講和。以後、今井は堺と並ぶ自治都市として栄え、江戸時代にかけて南大和の商工業・金融の中心地として繁栄しました。
幕末以降今井は衰退の一途を辿りましたが、皮肉なことにそれがゆえに街は大規模な再開発を免れて、江戸時代の街並みがそっくり残った格好に。
今西家住宅(重要文化財)。町内最古、1650年(慶安3年)の建築。幕府から自治権を委ねられて領主・代官の町方支配の一翼を担っていました。半ば行政施設だったためか、周囲の民家よりは一際立派。
豊田家住宅(重要文化財)。元々は材木商で金融業を営む牧村家の所有。大名貸しで藩に重用されるほどの豪商だったようですが、明治維新で貸付金はパーに。1662年(寛文2年)の建築。
上田家住宅(重要文化財)。
高木家住宅(重要文化財)。今井町は景観保護の観点から電柱の地中化を進めているようですが、この辺りまでは及んでいません。
河合家住宅(重要文化財)。1772年(安永元年)には既に酒を造っていたようで、しかも今なお現役。
称念寺本堂(重要文化財)。 浄土真宗本願寺派の寺院で今井町はもともとこの寺を中心とした寺内町として発展。残念ながら修復工事中。
古い町並みからやや南に外れたところに建っている「今井まちなみ交流センター・華甍(はないらか)」 (県指定文化財)。 1903年(明治36年)に建てられた奈良県下初の社会教育施設で、旧高市郡教育博物館。その後、今井町役場として長く使用されていました。
町で見かけた「だらに飴」の広告。「だらに飴」って初耳でしたが、奈良の健康食品なんですなぁ・・・
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