ごらんアウェー:G大阪2011(7)~相国寺界隈
(ごらんアウェー:G大阪2011(6)から続く)
翌朝は京都の中心部をだらだら散策。曇りがちで暑くもなく寒くもなく、まさに散策日和。
まずは鞍馬口駅から上御霊神社に参拝。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、863年(貞観5年)に平安京の神泉苑で催された御霊会が当社および下御霊神社の創祀。祀られたのは崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らでいずれも政争に巻き込まれて憤死した人々。
時代は下って室町時代、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘が当社境内の森で行われ、これが応仁の乱に結びついたとも。
上御霊神社から南へ下って相国寺の境内へ。
相国寺は足利将軍家ゆかりの禅寺で五山文学の中心としても知られていますが、相国寺が応仁の乱の細川方の陣地となったあおりで焼失した他、何度も焼失。
上写真は法堂(重要文化財)を裏から見たものですが、これは1605年(慶長10年)豊臣秀頼の寄進によって再建されたもの。
さらに1788年の「天明の大火」で法堂以外のほとんどの堂宇を焼失。現存の伽藍の大部分は19世紀はじめの文化年間の再建。
ちょうど秋の特別拝観の時期でしたが、朝早すぎました(苦笑)
付近で高層マンションの建設でもあるのか、山門に建設反対の看板が掲げられていますが、観光客から見ればその看板自体も景観破壊でしかないような・・・
相国寺の南に隣接して建つ同志社アーモスト館。同志社のキャンパス内にはれんが造りの建物が点在し、重要文化財に指定されているものもありますが、アーモスト館は鉄筋コンクリート造り。もともとは学生寮でしたが、今は外国人研究者用の宿泊施設。
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