ありがとう、ミハイロ ペトロヴィッチ!!
・札幌戦敗戦の翌日、ミハイロ ペトロヴィッチ監督(以下「ミシャ」)との契約解除が発表されました。さいたまダービーに敗れて以降目に見えて負けが混んでいるだけでなく、足下川崎戦、C大阪戦、そして札幌戦と疑問符が付く選手起用・選手交代を繰り返していましたから、シーズン半ばでの監督交代はやむを得ないと思います。後任がなぜ堀コーチなのか不思議でなりませんが、その件は項を改めます。
・最後は成績不振による交代という監督に最も普遍的な別れ方になってしまいましたが、ミシャが浦和史上最も優秀だった監督だったのは間違いないでしょう。タイトルこそルヴァン杯一つだけに留まりしたが、2011年になんとかJ1残留したズタボロ状態の浦和を翌年3位に引き上げただけでなく、2013~2016年と4年にわたってコンスタントに優勝争いに絡んだだけでなく、毎年勝ち点を増やし続けました。その事実には感謝の言葉しかありません。
・またそもそも2010年のフィンケ追放劇、そして翌年の失態の数々で浦和が監督選びに難航し、岡田に断られ、西野に断られ、クルピに至っては頼んでいないのに断られるという醜態を演じていた状況下で、3番手の候補と判っていながらミシャが浦和を選んでくれたことだけでも十分感謝していいと思います。
・ミシャは自分のやりたいサッカーを練習を通じて選手達に植え付けるのが上手い、典型的な「トレーナー型」の監督。過去「練習でやったことがない作戦をいきなり試合でやろうとする」ような酷い監督もいる中で、トレーナーとして優れているだけでも十分立派。監督に就任したばかりの2012年なんて原口1トップとか、坪井右CBとか、今から見れば明らかにミシャスタイルに向いてない陣容で3位に滑り込んだんだから大したもの。
・その後ちびちびとミシャスタイルに向いた選手をかき集め、上手く適合できなかった選手と入れ替えながら戦力強化を図ったのが効いて、年を追うごとに勝ち点が伸びてゆきました。
・ただ不思議なことに補強を繰り返しても全くと言っていいほど選手層が厚くならないのがミシャの不思議なところ。補強した選手が残念ながら眼鏡違いだったのならまだしも、昨年までレギュラーだった選手が競争の結果ベンチに回りがちになると途端に試合勘を失ってしまったり、頭角を現しかかった選手が怪我を機にまた逆戻りしてしまったりする例が多くて、毎年季節が進むにつれてスタメンが固定されがちに。秋にはレギュラー組が疲弊して大失速というのがミシャお決まりのコースでした。
・もっともミシャはスタメンを固定しがちなのにも関わらず、ベンチ組、あるいはベンチにも入れない選手をちゃんとフォローしているのでしょう。ほとんど出番のない選手、さらには出番を求めて浦和を出ていった選手達からミシャへの悪口がメディア等で伝えられることはほとんどありません。ミシャが選手達から慕われるのも道理。
・またいくら自分のやりたいサッカーを選手達に植え付けるのが上手いといっても、その「自分のやりたいサッカー」があまりにも流れの中からの攻撃偏重で、守備はほぼ個人任せというか「一対一で頑張れ!」の域を出ず、しかも攻守ともなぜか極端にセットプレーを軽視するなど、バランスが非常に悪かったのは確かでしょう。そのバランスを悪さを相手に突かれていくつ勝ち点を失ったことやら。
・さらにミシャにとって致命傷だったのは「勝負師」の才覚がまるでなかったこと。選手交代で戦局を打開するのは上手いとは言い難く、試合開始前に予め決めていたと思しきテンプレ的な交代が通例。戦況によって選手を使い分けることすらしないので、ベンチ入りしていても出番がない選手がゴロゴロ。
・それだけでなくビッグマッチにはとにかく弱かった。ビッグマッチでなくても「不測の事態」には弱く、往々にして監督自身がテンパってしまう。傷口を広げるだけに終わる「狂気の3枚替え」、何の効果もない「槙野のパワープレー」。この2つがミシャの勝負師としてのダメさ加減を物語るのに十分だと思います。
・今年はミシャのサッカーが相手に研究されつくし、元来のバランスの悪さが一層酷くなった上に、主力選手の不調(半ば選手層の薄さに起因する自業自得ですが)が相まって負けが混むようになってしまいました。そして「狂気の3枚替え」で盛大に自爆してフィナーレとなったのは真にミシャらしい最期だったのかもしれません。
・なにはともあれ5年半もの長きにわたり、ありがとうございました。
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