阿部勇樹選手 現役引退
・昨日(11/14)阿部勇樹選手の現役引退がクラブから報じられました。引退を決断するに至る経緯を自分の口から直接伝えたいという想いから「YouTubeでのライブ配信」という浦和では類例がない形での引退発表でした。
・阿部は2007年当時国内最高の移籍金4億円(推定)で千葉から浦和へ完全移籍加入。加入直後のレッズフェスタでの超不安定な言動で早速ある意味「一抹の不安」を感じさせたものの、その実力は伊達ではなく基本的にボランチの一角、必要に応じてCB、場合によっては右SBなど長年にわたって守備的なポジションで浦和の屋台骨を支え続けました。
・加入年にはいきなりACL制覇に貢献。ACL準決勝第2戦の城南一和戦で、両足が攣った状態にもかかわらずPKキッカーを志願してそれを決め、試合後思わず「もう立てないよ」とつぶやいたという逸話は今でも語り草です。
・阿部は日本代表でも活躍し、2010年南ア大会では突如採用された4-1-4-1のアンカーとして獅子奮迅の働きを見せ、まさかのグループリーグ突破に大きく貢献しました。
・W杯終了後いったんレスター・シティーへ移籍したものの、2012年ミハイロ・ペトロビッチ監督を招聘した新生レッズに復帰。当初は啓太とのコンビ、やがて柏木とのコンビで再び輝きを放ち、ミシャ→堀→オリヴェイラと迷走を始めた浦和の中でルヴァン杯、天皇杯、そして二度目のACL制覇に粉骨砕身の働きぶりを見せてくれました。それだけに2016年「2ステージ制の呪い」のために年間最多勝ち点を上げながらリーグ優勝を果たせず、阿部にリーグタイトルだけが欠けていることが悔やまれてなりません。
・また浦和復帰後は啓太に代わってキャプテンに就任。キャプテンと言っても試合中に積極的に声を出し、手を叩いて必死に周りを鼓舞するタイプではなく背中でチームを引っ張るタイプ。そんな阿部が2015年ACLブリスベン・ロアー戦@駒場で不甲斐ない敗戦を喫しただけでなく、昨年末から続く連敗にブチ切れたサポーターに対して、「まず勝たなきゃダメなんだよ。俺たちやるから。だから一緒に戦って」「とにかく1勝しなきゃ何も始まらないんだよ。次は絶対に勝つから」と叫んで回ったのは胸が痛くなりました。しんどい時にこそ前面に出るキャプテン。人としてこうありたいと思います。
・ただそんな阿部を浦和は便利に使いまわし過ぎました。二度目のACLを制覇した2017年試合終盤に動けなくなる阿部の姿が目立ち始め、翌年から徐々に阿部の出番は減ってゆきました。2020年阿部の出場はわずか3試合。
・ところが今年リカは今季大ベテランの阿部をキャプテンに選出したのみならず、そのリカ流への馴致の早いや戦術眼の確かさを評価してか開幕戦にはスタメンに起用。阿部も早速その期待に応えてCKからの流れでいきなりゴールを決めていました。最後に一花咲かせるかも!!と誰もが思ったことでしょう。しかし、故障もあってか4月以降はチームから離脱しがちになり、年後半は柴戸の劇的な成長や平野の加入もあってベンチにも入れなくなってしまいました。
・従って遅かれ早かれこの日が来ることは覚悟していましたが、いざ引退が正式に決まったとなるとやはり万感の思いがこみ上げてきます。阿部への尽くせぬ感謝、そして阿部に要らざる苦労をかけ、有り余る才能を活かしきれずに申し訳なかったという慙愧と共に。
・「アベッカム」と評された正確無比のFKは浦和ではあまり披露されることなく、CKを含めて蹴る側ではなくヘッドで競る側に回るほうが多くなりました。また千葉時代は積極的に相手ボックス内まで顔を出す"box to box"っぽいCHだったはずですが、浦和では後ろに残ってバランスを取るような役回りになってしまいました。またチーム事情でフィジカル的にやや物足りないCBを任される場合も結構ありました。ゆえに長きに渡った浦和でのサッカー人生は阿部にとって本当に良かったのかどうか、結局のところ便利屋になってしまったのではないかと、若干の疑念がなくもありません。
・阿部は最後に「今でも十分、浦和レッズというクラブはすごく大きいと思っています。しかし、全てが一つになっているかと言われたら、もしかしたらなりきれていない部分はあるのかなと思っています。」「ファン・サポーターの方々が、小さい子どもたちが『浦和レッズの応援ってすごいね』『俺たちも応援していきたい』と思われるような存在に」という重い課題を残してゆきました。その課題を一つ一つこなしてゆくことが自分とって何よりの阿部への恩返しになるのでしょう。
・ありがとう、そしてお疲れさまでした。
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