2009.01.04

初詣2009

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 初詣客全国ベストテンに入るようなところに初詣に出かけること自体が珍しい(昔、八坂さんに行ったことがあるくらいかな?)んですが、浅草寺に行って見ました。

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 感想:二度と行くまい

 御本堂に入るまでだらだら並ぶのはまだしも、本堂に入ってからが押し合いへし合い。お賽銭を入れるまでが一苦労。あんまり賽銭箱に近づきすぎると、しまいには賽銭箱に押し付けられて、おいおいヒルズボロやないっちゅーねん( ゚Д゚)ゴルァ 祈願もそこそこに必死に人並みを掻き分けて脱出。

 ありゃ初詣なんてどうでもよくて、周囲の屋台での飲み食いを楽しみに出かけるところですな。でもアフリカン系のオヤジが「佐世保バーガー」の屋台を出していたり、中東系っぽいオヤジが「ケバフ」の屋台を出していたりと、浅草の屋台にも国際色が。

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 なんかお参りした気がしなかったので、周辺の七福神巡りを敢行。色紙持って七福神巡りしている人もちらほら。上写真は「待乳山聖天宮」。

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 こちらは今戸神社。お参りしているのは専ら近在の方々と思いますが、それでもそこそこの行列。これじゃ「茅の輪」を8の字に回っている暇もありません。なおここは沖田総司終焉の地であり、かつ招き猫発祥の地とのこと。

 やっぱ初詣は近所のお宮さんが一番かな。もっとも神社があんまりシャビーだとアレですが、近々川口神社にも行ってみます。

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2008.10.22

木根川橋(下)

木根川橋(上)から続く)

木根川薬師の植木市の日には今でも必ず雨が降りますか

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木根川薬師は「木下川薬師」と書くのが通例の模様。こちらはかなり歴史のあるお寺のようで、正式名は「青竜山薬王院浄光寺」。伝えられるところでは創立は860年(貞観3年)3月で、本尊薬師如来は伝教大師の作とのこと。いったん兵火で焼失したが、僧別当証田が薬師堂を再建。1591年(天正19年)に徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜り、長くその祈願所とされたとのこと。

徳川家康が江戸に入ったのが1590年ですから、既にその時点で有力寺院として知られていたということです。

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こちらは植木市が催されてもなんら不思議はないほど境内が広く、おまけに横に幼稚園が併設されていました。

曵舟、押上、浅草の

木根川薬師を訪れた後、ぷらぷら上野(!)まで歩いて戻ったわけですが、チャリンコ転がして木根川橋を渡って浅草へ遊びに行こうとすると確かに「曵舟、押上、浅草」の順番に通るんですな。荒川渡って墨田区を横断してさらに隅田川を渡るので近くはないですが。

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曳舟。周囲は再開発の真っ最中。冴えないボーリング場兼打ちっ放しゴルフ場みたいな娯楽施設が曳舟駅の入口。

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押上周辺は「新東京タワー」建設へ向けてこれまた大工事中。東武電車の車庫がちょこっとありました。

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西日を浴びる浅草駅。東洋・西洋問わず外国人観光客だらけですななぁ・・・

(終わり)

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2008.10.21

木根川橋(上)

さだまさしの大昔のアルバム「夢供養」に収録されていた「木根川橋」の舞台が気になって、思い立って検証の旅(というほど遠くもないですが)に出てみました。

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木根川橋の所在はすぐに判りました。葛飾区で京成押上線・四ツ木駅のすぐ近く。なにせ関西育ちなもんで、歌を聴いたじぶんは「曳舟・押上・浅草」の位置関係なんて全然判らず(いまでも荒川の向こう側はよく判りませんが・・・)あれこれ想像を巡らして、小さな川に架かる木造のせこい橋だろうと勝手に思い込んでいたのですが、なんと荒川・綾瀬川を一気に渡る巨大な鉄橋でした! ただ荒川を渡る他の橋に比べると幅狭なのは否めないところ。

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荒川土手の忘れちゃいけない毎度毎度の草野球

木根川橋から見下ろせる河原では少年野球。でも揃いのユニフォームで打者はヘルメットを被っているし、キャッチャーはもちろん防具付き、審判は大人がやってますから草野球じゃありませんね。

木根川橋から水道路抜けた白髭神社の縁日は
アセチレンたいてあんずあめ売ってますか

今回もっとも難儀したのが「白髭神社」。白髭神社って木根川橋近くに3つもあって、それどころか滋賀県高島市の「白鬚神社」を総本宮として全国いたるところにあるとのこと。

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決め手となる「水道路」がこれまたさっぱり判らない。木根川橋東詰からやや南に「水道橋」というバス停がありました。

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ここから北東へ真っ直ぐ延びる道が「水道路」で、その先にある「白髭神社」がおそらく歌の舞台なんだろうと推察を付けましたが・・・

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新しい絵馬も数多く掛けられていて地元の方々の信仰の場として機能しており、舞殿も備わってそこそこ立派な神社ですが、ただアセチレン焚いてあんず飴売っているような屋台がぞろぞろ出せるほど境内は広くないですね。

(続く)

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2008.10.15

一葉記念館

 以前近所を通りかかった際にはリニューアル工事の真っ最中だった「一葉記念館」。すっかり装いを新たにしておりました。記念館の前が車両通行止めになっているので、近所の子供達の遊び場になっていました。

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 2008年10月3日(金)~12月14日(日)の間、特別展「吉原つむぎうた ~ 一葉が見た吉原 ~」が開催中。出羽桜美術館の協力を得て明治期の吉原を模型や絵画、調度品などを通して紹介していました。館内は全品撮影禁止で写真で、その一端すら紹介できないのが残念ですが。

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 樋口一葉が台東区竜泉に住んでいたのは短い生涯の中でもわずか10ヶ月に過ぎず、むしろ文京区本郷界隈にいた時期のほうが長いのですが、吉原に近い竜泉での日々(記念館の近所で荒物雑貨、おもちゃ、菓子などを売る小店を開いていたとのこと。商売は成功したとはいえず、樋口家の困窮が続くわけですが・・・)が小説「たけくらべ」他の作品に大きな影響を与えたとされているようです。もっとも「たけくらべ」は文学史の知識として知っているだけで読んだことはないのですが(^^;

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2008.10.08

新宿歴史博物館@四谷

本来なら本日のACL準決勝第1戦へ向けての展望なんぞを書かないといけないのですが、千葉戦の出来及びその後のクラブの様子等々を見るにつけちょっと心が折れてしまったので、消防博物館に続く四谷の博物館巡りでお茶を濁します。

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区で一つの博物館をぶち上げてしまうところに東京の懐の深さを感じさせますが、平成元年開館というところを見るとバブルの勢いに任せて作っちまったような気がしないでも。

博物館といっても地下一階の1フロアを展示スペースとしただけのささやかなものですが(その割には建物がでかい・・・)、入場料300円で1時間以上もしっかり楽しめました。

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内藤新宿のジオラマ。中央に縦に伸びる通りは新宿通り。

江戸時代、甲州街道の第一の宿場「高井戸」までかなり距離があったため、元禄年間になって宿場が開設されたのが現在の新宿の基礎。内藤家の中屋敷の敷地が一部利用されたので「内藤新宿」と呼ばれていました。

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青梅街道を分けるのが「追分」。現在の新宿三丁目交差点付近。

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新宿が劇的に発展するのは関東大震災以降東京の住宅地が郊外へ広がり、新宿が鉄道ターミナルとして重要な地位を占めるに至ってから。上写真は都電。

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「文化住宅」は関西では単なる2階建てアパートを指す言葉(しかも死語)だと記憶していますが、東京では「小規模な和風住宅の玄関脇に洋風の応接を付けた」住宅を指すそうです。こんな趣味の悪そうな家はいらんわぁ・・・

写真撮影できるところが限定されているのであれこれ紹介できないのが残念ですが、概して昭和初期の新宿の様子を伝えるコーナーが面白かったですね。

伊勢丹の横に「ほてい屋」というデパートが建っていたとか、今のアルタのところに「二幸」というデパートがあったとか、伊勢丹の西側は都電の車庫だったとか。また柏木とか角筈とか、かつて相当の区域を示す地名が消えているのには驚きました。

そんな中で武蔵野座など映画館の場所は昔からほぼ同じ。

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四谷界隈は都心には珍しく古い住宅が目立ち、なんと銭湯もあります。上写真は蓬莱湯。東京の銭湯は概して熱めで苦手なのですが、ここはさほどでもなく、ゆっくり浸かれました。

重油高でどこの銭湯も経営難。いつ突然なくなるか判らないので、散歩ついでの銭湯入浴もできるだけまめに記録しておくつもりです。

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2008.09.26

消防博物館@四谷三丁目

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四谷三丁目の交差点にある「消防博物館」に行ってきました。威圧感のある外観に見覚えがある方は多いかと思いますが、あまりにも威圧感があるために警察署と間違えている方もいらっしゃるかもしれません。

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まずは地下の消防車の展示コーナーへ。これ、消防車マニアはもちろん、単なる車好きでも結構面白いかも。

昔はいかんせん日本車の水準が低かったために消防車は専ら外国から輸入。本格的な国産消防ポンプ車の登場は1941年って、それは単に戦争でポンプ車輸入が出来なくなったからじゃね?というツッコミはともかく、そんなこんなの理由で上写真の梯子車はベンツだったりします。また下写真は米スタッツ社のものですが、赤く塗ってなければ消防車とは判らない流麗なフォルム。

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かたや日本初の国産ポンプ車「ニッサン180型」はこれ。業務用車両にはデザインは重視されないとはいえ、あんまりな差。でもそこから日本の自動車産業は立ち上がったのです(風の中のすーばるー)。

一転して6Fへ。ここでは江戸時代の火消し職人をパネルクイズ形式で紹介するイベント開催中。向学心溢れる子供たちでバタバタしていたので半ばスルー。

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5Fでは江戸期の火消しを紹介。特に町火消しの活躍ぶりを重点的に紹介しています。江戸期の消防活動は火元周辺の人家を叩き込まして延焼を防ぐ「破壊消防」が専らだったので、火消しには家の構造に詳しい大工やとび職が大活躍。

ジオラマの類はどこの博物館でも見かけるようになりましたが、これを受注生産しているのはどんな会社なんでしょうね。

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町火消しのシンボル「纏」の数々。いろは48組が有名ですが、語呂の良くない「へ、ら、ひ、ん」がなく、それぞれ「百、千、万、本」と入れ替え。また「五番」の纏が見えますが、「いろは組」とは別に編成された本所・深川16組というのがあったそうです。

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4Fでは明治~昭和期の消防を紹介。破壊消防が注水消防に変わるのは、ポンプの普及と水道の普及が鍵でした。上写真は手押しの腕用ポンプ、下写真は蒸気ポンプ。蒸気ポンプは一見画期的な消火装置のように見えますが、石炭を燃やして水を沸騰させ、蒸気が動力として使えるようになるまでに時間がかかるのが難点で初期消火には適さず、ある程度の大火事になってようやく真価を発揮する代物だったとのこと。

ラッパ手もいてなんだか軍隊風ですが、これは纏持ちの名残なんでしょうか・・・

3Fは現代の消防を紹介。まぁこの辺は専ら現在の消防隊のPRなんでさして面白くもなく。

消防署のPR活動を兼ねているためか入館無料。となると当然といっては当然ですが、館内は子供連れだらけ。博物館というよりは近隣の方々の手軽な遊び場にもなっているような感じでしたが、展示品及びその解説とも充実した出来の良い博物館だと思います。

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