2009.06.10

飫肥散策(下)

飫肥散策(中)から続く)

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 飫肥城の周辺には「武家屋敷通り」が残っています。約5万石の小藩ですから武家屋敷の規模もさほどのものではありませんが、県都から遠く外れて開発が進まなかったのが幸いして昔の姿を留めるに至ったのでしょう。

 武家屋敷といえば周囲を土塀や板塀で囲んでいるのが通例ですが、上写真に見られるように飫肥では下半分を石垣で固め、その上に生垣を植え込んでいるのが面白いところ。

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旧藩校「振徳堂」。1831年(天保2年)に設立されたもので、後の外相小村寿太郎を輩出しています。っちゅーか、ポーツマス条約締結に尽力した小村寿太郎は飫肥唯一無二の有名人物という扱いで、飫肥にはその生家が復元されている他、「国際交流センター小村記念館」というどでかいハコモノも。

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こちらは予章館。明治2年に建てられた藩主伊東家の住まい。

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行きは宮崎空港から飫肥までバスで来ましたが、帰りはJR日南線に乗ってみました。日南線に乗るのはJR全線完乗に励んでいた(=いわゆる[乗りつぶし」)頃に一度乗って以来、生涯2度目。

上写真は飫肥駅で、城郭っぽい造形。もっとも飫肥駅は飫肥城等がある市街中心部からやや外れた川向こうにあって、駅周辺はいたって閑散としています。

駅前に立っているのは「飫肥泰平踊り」の像。

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JR九州は幹線特急と博多周辺の鉄道網整備を先行させ、長らく南九州は旧国鉄時代の状態のまま捨て置いた格好になっていました。とはいえ、ようやく南九州にも新しい車両がどんどん入るようになりましたが、宮崎の、そのまた端っこのローカル線は未だ国鉄臭がプンプン。

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列車は1~2時間に一本と寂しい限り。しかし並行して走るバスの本数も似たり寄ったりで、しかもスピードでオンボロ列車に勝るわけでもありません。運賃が安いのに惹かれてか、オンボロ列車は意外な混雑を見せていました。

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2009.06.09

飫肥散策(中)

飫肥散策(上)から続く)

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 飫肥の名物といえば「おび天」。飫肥城大手門近くの「おび天茶屋」で試食してみました。向かいに「おび天蔵」という店があってライバル店かと思ったのですが、なんのことはないどちらも同じ「おび天本舗」が経営する店でした。

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 おび天だけ食っても良かったのですが、ちょうど昼飯時だったので「おび天うどん」(850円)を注文。といってもおび天の盛り合わせ(300円)にわかめうどん(550円)が付いて来るだけで、おび天がうどんにトッピングされているわけではありません。

 盛り合わせには小判状のテカテカしているものと、鳥のから揚げに似た不定形のものとがあります。

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 小判状のほうはさつま揚げに似ていますが、同じ魚のすり身の揚げ物でも食感や味が全然違いました。硬めの豆腐、あるいは玉子焼のようなふわふわとした食感。そしてかなり甘めの味わい。甘みは黒砂糖から来ているそうですが、テカテカでちょっと脂っぽい表面が特に甘ったるい。うーん、これじゃ焼酎のアテには絶望的だし、ご飯のおかずにもならん。うどんに入れなくて本当に良かった(笑)。子供のおやつにはいいかなといったところでしょう。

 こげ茶色の不定形のほうは細かく刻んだゴボウ入り。こちらはゴボウ効果で適度にサクサクとしていて、かつ甘みも抑えられているのでかなり食べやすく、これならまぁまぁと思いましたが、逆に言えば普通の野菜天と何が違うのだということにもなりかねず、本格的におび天を味わうには邪道かもしれません。

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 おび天は商品のバリエーションを増やして販売拡大に努めている模様。飫肥城下を一通り散策した後、「おび天蔵」で「えび入り(220円)」を一つ買い求めてみましたが、粉砕された海老の味わいがちょこっとするだけで、やはり全般に甘ったるさが支配。

 残念ながら個人的には話の種として一度食えば十分でした。

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2009.06.05

飫肥散策(上)

唐突に南九州旅行シリーズが始まります。

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宮崎県南部にある飫肥城(おびじょう)は、飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた平山城です。

長らく伊東氏と島津氏の争いの場となり、一度は日向国全土が島津氏の支配下に入って伊東氏は九州から叩き出されたましたが、飫肥を失った伊東祐兵が羽柴秀吉に仕え、九州征伐に参加した功により、再び飫肥の地で復権。以後江戸期を通じて伊東氏が飫肥を治め、飫肥城がその居城となりました。

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なかなか面白い歴史を持った城ですが城内に見所は少なく、1978年に復元された大手門が唯一無二といっていいかもしれません。

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飫肥はNHKの朝ドラ「わかば」の舞台だったそうですが全く記憶なし。長期低落傾向にある「朝ドラ」ですが、その中でも屈指の低視聴率だったんじゃ?

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本丸跡には日南市立飫肥小学校。

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一段高くなっているのが旧本丸。3度ばかり地震に見舞われて地割れを起こしたため、旧本丸は放棄されたとのこと。今は樹齢百年の飫肥杉が林立しています。

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2009.05.27

八王子城(下)

八王子城(上)から続く)

続いて要害地区へ。

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山頂へは旧道と新道とがあり、旧道のほうが細かく曲輪を観察するにはよさげなんですが、登るには厳しそうなんで新道を選択。といってもある程度階段が整備されているとはいえ新道も結構な傾斜で、山頂まで35分を要しました。

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金子丸。

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八王子神社へ向かう途中、ぱっと視界が開けました。

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八王子神社。城のある深沢山には牛頭天王の八人の王子神である「八王子権現」が祀られていたため、城は八王子城と名づけられたのこと。かつ城名がそのまんま市名の由来なんで山頂近くにある神社ながら地元の人気を集めているのかと思ったのですが、全く想像とは逆。半ば打ち捨てられているような感じ。

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でも能舞台があったりします。

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八王子神社脇の急な階段を登ってようやく本丸に。といっても極めて狭小で、櫓等の構造物は建っていなかった模様。現在は祠と記念碑があるのみ。

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2009.05.26

八王子城(上)

足腰の鍛錬を兼ねて八王子城址に行ってきました。

八王子城は小田原を本拠とする北条氏の枝城の一つで、甲斐方面からの攻撃に備えて1587年(天正15年)頃、北条氏康の三男・氏照が築城。

しかし、天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢1万5千が来襲した際には、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代の横地監物吉信以下わずか1000人程度。氏照苦心の巨城もわずか一日で落城という、北条氏の枝城に共通するトホホな歴史を持っています。

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八王子城は標高445mの深沢山に築城された典型的な中世山城なんですが、さすが東京都というべきか、山麓には駐車場や管理棟が完備。各種案内板も充実している上、山頂にある本丸への登山道も実によく整備されています。

城は大雑把に言って山頂に置かれた本丸、松木・小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区などに分かれます。

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最初に居館地区を訪れてみました。城山川を渡った先には大手門があったようですが、調査の後埋め戻されて遺構らしきものはなにもなし。

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「古道」は現在整備中。

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「曳橋」で再度城山川を渡ります。曳橋は両岸の基礎部分が残っていたものの、橋自体はどのようなものだったか不明。

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挽橋を渡った先は御主殿へ向かう「虎口」。コの字型に屈曲して石垣で固められていました。

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御主殿跡は広大な原っぱになっていて、建造物は一切無し。近在の方がお弁当を広げていたりします。

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2009.03.18

広島逍遥(3)~広島城

広島逍遥(2)から続く)

 広島バスセンターから程近いところに建つ広島城。広島空港シャトルバスからもよく見えます。

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 久しぶりに訪れたところ、二の丸にいくつか建築物が復元されていました。いずれも広島城築城400年を記念してとのこと。

 広島城は毛利輝元(=元就の孫)が築城を開始し、1599年(慶長5年)に完成。その後も天災・破却を免れ戦前まで天守等が残っていましたが、原爆で全て焼失・倒壊してしまいました。

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 表御門

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 平櫓とそれに連なる多門櫓。さらに奥に太鼓櫓

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 広島城の特徴は二の丸が非常に狭いこと。大きめの「馬出し」のようにも見えます。

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 広島には日清戦争時に大本営が置かれていました。

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 現在の天守は1958年(昭和33年)に「広島復興大博覧会」が開催された際、鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されたもの。

 もともとは南と東に小天守が連立していたとのこと。確かに天守台に小スペースがある(=現在の天守入り口の前)のは不自然で、これが南側は小天守の跡。

 原爆ドームや厳島神社が世界遺産に指定されていることもあって、ついでに広島城を見て回る外国人観光客も多いようです。

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 本丸は木立が多く、また天守台からだと天守が近すぎてあまり綺麗な写真が取れません。お堀越しに眺めるのが一番です。

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2009.03.16

広島逍遥(1)~福山城

広島遠征が近づいて参りましたので、参考のために唐突に「広島シリーズ」を掲げておきます。もっともナビスコは平日、しかも多くの会社では期末直前とあって参戦者は少ないようですが・・・

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 駅から徒歩0分という全国屈指の利便性(?)を誇る福山城。駅北口を出ると、眼前に高石垣!

 山陽新幹線からも福山駅通過時にはっきりと見えるのでご存知の方も多いかもしれません。もっとも広島へは航空機で行く方も少なくないですし、同じく山陽新幹線から見える姫路城に知名度において遠く及ばないので、何度も広島に行ったことがあっても福山城を知らない方もいらっしゃるでしょうが。

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 徳川家康の従兄弟である水野勝成 が毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑えとして備後国東南部と備中国西南部の計10万石を与えられ、築城開始から3年近くの歳月を要した元和8年(1622年)に福山城は完成。福山城は10万石の城としては破格の巨城。

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 水野氏が5代藩主水野勝岑の早世により無嗣除封となった後、紆余曲折を経て阿部氏が福山へ入府。阿部氏はペリー来航時に老中を務めた阿部正弘を輩出したことで知られています。当然ながら幕末には新政府軍の標的になってしまいましたが、さしたる抵抗もせずにあっさり恭順。

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 天守・櫓等いくつかの建築物がその後も残っていたようですが、第二次世界大戦中の福山大空襲で天守を始め大きな被害を受け、往時のまま残っているのはわずかに伏見櫓と筋違御門だけとなっています。

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 5重5階(地下1階)の巨大城郭。箱を積み上げたような層塔式天守の中でも最新鋭のもの。福山城の最大の特徴は防御上の弱点とされていた天守北側の壁面に厚さ3ミリメートル程度の鉄板が張られていたことです。天守復元にあたってそれが全く考慮されていないため「パチもの」の謗りは免れません。

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2009.03.11

土佐路(下)~高知散策

土佐路(上)から続く)

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久しぶりに訪れた高知駅はその様相を一変させていて、高架化工事に伴う周辺整備の真っ最中。高架化自体は完了していて駅を大ドームがすっぽり覆っていますが、1、2両のローカル列車はもちろんのこと、航空機や高速バスとの競争で劣勢を強いられてすっかり編成が短くなった特急が大ドームを出入りするのを見るとなんだかなぁという気も。

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駅北側はもともと列車の基地があったはずですが、基地を街の東外れに移転させてバスターミナルとして再整備。

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駅南には路面電車(土佐電鉄)乗り場。2001年にJR高知駅との接続を良くするために路線延長工事を実施しましたが、高知駅が高架化したためにまた駅が遠くなってしまいました。

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高知といえば海鮮物かなぁ?菊寿し本店にて。

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土佐電鉄はバリエーションが豊富。高知の中心街「はりまや交差点」を行き交う電車を眺めているだけでも飽きが来ません。

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でもそんな交差点脇にあった「とでん西武百貨店」が更地になったまま未だに用途が決まっていない辺りに地方都市の厳しさを感じます。高知城へと続く商店街自体はさほど寂れた風に間見えませんでしたが。

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一日中電車を見ているとアブナイ人になりかねないので、桂浜へ足を伸ばしてみました。「月の名所」として知られる桂浜ですが、訪れるのはいつも昼ですなぁ(´・ω・`) ショボーン

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2009.03.05

土佐路(上)~高知城

続伊予路(3)から続く)

伊予の名所もあらかた行き尽し、ついでといっては何ですが隣の土佐まで足を伸ばしてみました。

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隣と言っても険しい四国山脈に阻まれた土佐。国鉄バスでその険しい山越えをした昔を思い出しましたが、ご立派な高速道路が出来た現在、松山から丸亀あたりまで大回りしても2時間半くらいで着いちゃうんですな。

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パチものの今治城とは対照的に、高知城は貴重な現存天守。しかし非常に残念なことに天守は修復工事中でした・・・orz もっとも高知城自体は過去2度ほど来たことがあるのでがっかりといっても大したことはありませんが。

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追手門。高知城は1727年に大火に見舞われ、この門を除いてほとんど焼失したとのこと。暇そうにしている観光ガイド兼のタクシーの運ちゃんが「この門を入れて天守閣を撮ると良い」とかなんとかしきりに話し掛けてきました。

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板垣退助。この人がお札の肖像に用いられていたことを知らない人が多いんでしょうなぁ・・・ それ以前に板垣退助自体を知らないっちゅーのも。

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山内一豊の妻。旦那の像もあるんですが、天守へと向かう観光客の動線を考えると嫁はんのほうが良い場所に立っています。嫁はん像のほうは後から出来たんでしょうが、像の位置が世間の評価をそのまんま表しているような・・・

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石垣も修復工事中。

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高知名物「アイスクリン」。一般の「アイスクリーム」よりも乳固形分、乳脂肪分が少なくてシャーベットのように若干シャリシャリした食感らしいんですが、なんで高知名物になったのかは全く不明。冬とは思えない陽気でしたが、アイスクリンは売れるのかなぁ?

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・詰門。本丸と二ノ丸をつなぐ役目を果たす櫓門で、この門を迂回するような格好で二の丸へ突入します。

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・二の丸。もともとは「二の丸御殿」が建っていました。

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4重6階の天守に本丸御殿が連なっています。高知城は天守が現存するだけでなく、それに付随する本丸御殿まで現存しているところに価値があります。

高知城は水害の多い土地に築かれ、築城以前に治水が難儀だったとのこと。従って高知城は初代一豊の時には完成せず、第2代忠義になってようやく完成。その後大火に見舞われ、現存する建造物のほとんどは第8代豊数の時に再建されたもの。なお高知城天守は一豊の前任地であった掛川城の天守を模したと言われています。

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・黒鉄門から退出。門扉に多数の鉄板を打ち付けてあったことからその名があるとのこと。

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2009.02.27

続伊予路(3)~せんざんき@松山道後

続伊予路(2)から続く)

 今治に行ったついでに名物「焼き鳥」を食べたかったのですが、観光客向けに平日の昼間から焼き鳥を出している店なんてありません。この辺が餃子や焼きそばと比べると、観光の目玉としての焼き鳥の泣き所。

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 愛媛に行ったら道後の湯に浸かってから、隣の「道後麦酒館」へ行くのがお決まりのコース。

そこでアテに焼き鳥と並ぶ今治名物「せんざんき」をオーダーしてみました。この店では若鳥と親鳥が選べましたが、若鳥を選ぶ客がほとんどとのこと。親鳥はやや堅めだそうです。10分くらいかかるとのことだったので、他に一品頼んで待つことしばし。

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 普通のから揚げを何が違うのかと言われても私の乏しい経験&語彙では言い表せないのですが、毎週のようにスーパーで売れ残って、50円引きになっている鶏のから揚げをチンして食っているだけでは人生は貧しい。たまには良いもの、美味しいものを食おう。そう確信させるに十分な逸品でした。

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 スーパーの売れ残りのから揚げは安モンの脂がべちょっとしとるけど、「せんざんき」はからっとサクサクしてました。

 でも頼んだせんざんきは630円もします。いつも買っている50円引きのから揚げの約4倍!!! 従って美味いのは当たり前といえば当たり前。高モンの鶏のから揚げとはどう違うのかという根源的な疑問は全く解消できませんでした(笑)

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2009.02.26

続伊予路(2)~今治城

続伊予路(1)から続く)

 今治城には5重6階の立派な天守が建っていますが、これは形状・位置とも往時の天守とは異なる「パチモノ」。極論すれば観光タワーといって差し支えないものですが、最近江戸時代の史実にできるだけ基づき、鉄御門(くろがねごもん)が復元されたと聞いて訪れてみました。

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 今治城は1602年(慶長7年)、藤堂高虎によって築城開始され1604年(慶長9年)に完成。城内には藤堂高虎の像が飾られています。

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天守は1604年(慶長9年)に竣工。しかし、1610年ごろに丹波亀山城に移されたと伝えられているのでわずか約6年間ほどしか存在していなかった勘定になります。

それはともかく、その丹波亀山城は明治初年に撮影された古写真や平面図が残され、おおよその形状がわかっています(=破風のほとんどない層塔式)が、再建された今治城天守はその姿と大きく異なり、大きな入母屋破風が目立つ望楼式となっています。

しかも天守が建っていた場所は本丸中央と推定されているのに、復元天守はなぜか北隅櫓のあった場所に建設。

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と、あれこれ難癖のつく今治城ですが、天守に登ると海がすぐ傍にあるだけに眺望は格別。尾道から今治へと続く瀬戸大橋の姿も。

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城址には吹揚神社が鎮座。今治市内に鎮座していた神明宮、蔵敷八幡宮、巌島神社、夷宮の四宮を廃藩の際に城内に合祀したもので、さほど古い神社ではありません。しかも残念なことにその後戦災や放火に遭い、現在の社殿は昭和58年に再建されたものとのこと。「吹揚」は今治城の別名。

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・1990年(平成2年)に復元された山里櫓。

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・今治城築城・開町400年祭の記念事業として木造で再建され、2007年9月に完成した鉄御門。枡形を構成する多門櫓、塀なども併せて復元されました。

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・1985年に復元された御金櫓。なにかのイベント毎にちょこちょこ復元を重ねているようですが、返す返すも肝心の天守がねぇ・・・

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2009.02.25

続伊予路(1)~焼豚玉子飯@今治

 食材には全く地方色を感じないけども、なぜかその地方にしかない料理というものがあちこちにありますが、今治の「焼豚玉子飯」もその一つです。今治は「焼き鳥」を町興しの材料として売り出していますが、「焼豚玉子飯」のほうは旅行ガイドブックに取り上げられることはあまりないようですし、まさに知る人ぞ知るといった存在です。

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 訪れた「白楽天」は今治大丸の裏。2Fもある堂々たる中華料理屋で、商業地としては衰退著しいとはいえ今治の中心部にあるせいか、次から次へと老若男女幅広い客層を集めている様子でした。

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 ランチメニューも実に豊富。メニューの記載では一番人気は「特やきめし」で、お目当ての「焼豚玉子飯」は当店名物との位置づけ。確かに他の客でこれを頼んでいた人はおらんかったような・・・なおこの店での表記は「玉子めし」でかっこ書きで「焼豚玉子飯」とありました。

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 さほど待つことなく「玉子めし」登場。

 ぱっと見はご飯に目玉焼きを乗せただけのように見えますが・・・

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 目玉焼きの下には黒々としたタレをたっぷりかけられた焼豚が。帯広の「豚丼」に目玉焼きを乗せたようにも見えます。

 外観は非常に期待できたのですが、いざ食べてみると滅茶苦茶タレが甘い!!! 食べ進むにつれて甘さが気になる品は良くありますが、初手からクソ甘いというものはなかなかありません。子供の頃から甘いものが苦手で、塩辛やナマコ、うにくらげといったものが大好きだったワシにとっては拷問に近い一品でした。

 焼豚は堅めかつ脂少なめで、しっかり焦げ目のついています。ラーメンの具だったならばかなりハイレベルな焼豚なんでしょうけど、タレが全てをぶち壊しているとしか言いようがありません。半熟の目玉焼きやチャーシュとご飯とかき混ぜて食べるとややその甘ったるさが緩和されますが、目玉焼きにたっぷりと振られた胡椒がこれまた微妙・・・そういえば松山の「鍋焼きうどん」もかなり甘口でしたが、愛媛では甘めの味付けが好まれるのかもしれません。

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 食べ終わるとどっしりと胃もたれ感が。どこからどう見てもヘビーな学生向きっぽい食べ物で、性格的には長崎の「トルコライス」金沢の「ハントンライス」と同系列なんでしょうが、今治の「焼豚玉子飯」はそのあまりにもストレートなネーミングで損をしているような気がします。

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2009.02.20

うぃあー強化合宿2009

毎オフの恒例行事となった「うぃあー強化合宿」に今年も行ってきました。今年のキャンプ地は草津温泉。事故が3件もあって関越道が渋滞するハプニングがありましたが、11時には無事草津温泉到着。

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周囲の「ラーメン食え、食え」との声に押されて頼んでは見たものの、あんまりな出来。この半額以下の値段でこれよりも遥かに美味いラーメンを作る日高屋はつくづく偉いと思いました。

ゲレ食はやっぱ当たり外れの少ないカレーにしておくべきですね・・・orz 

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一時は雨すら心配されましたが、ごらんの通り快晴。っちゅーか、春スキーを思わせるほど気温が高く、表面の雪が溶けまくり。日陰では溶けた雪が再度凍ってしまうという悪コンディション。時折強風も吹き、下半身に重い負荷がかかった一部練習でした。

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夕方は草津の温泉街を上り下りするクロスカントリー。フィンケ監督のメニューは実に豊富で選手を飽きさせません。タンココーチを先頭に湯畑でブラジル体操。

ひと風呂浴び、夕食を堪能した後は「腹筋強化訓練」。おまえら、濃いネタ仕込みすぎやってwww

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翌朝は草津の湯巡りで夏に待ち構える「酷暑西日本3連続アウェー」に向けて体を慣らせておきます。「白旗の湯」は2つ湯船がありますが、一つは別格の熱さでした。

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帰りは寄り道して「水沢うどん」。やっぱりうどんは冷やにしておくべきだったなぁ(´・ω・`) ショボーン

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2009.02.19

伊予路(9・了)

伊予路(8)から続く)

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 大洲は古い町並みが残っているためしばしばドラマや映画のロケ地になるようです。「東京ラブストーリー」は覚えていますが、大洲市的にはNHK朝ドラの「おはなはん」が一押しの模様。といっても1966年の話ですから、ワシも知りませんわなぁ・・・

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 で、「おはなはん通り」を盛んに売り出していますが、現実はこんな感じ。路駐を認めている時点で全てがパーで、がっかり名所の仲間入りです。

 近隣の内子も古い街並みを売り物にしています。内子は商業の街で、大洲は城下町と趣は全然違いますが、観光的には内子のほうが気に入りました。

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 旧市街にははなはだがっかりさせられたのですが、たまたま近隣の空き地で「ポコペン横丁」なるイベントが開催されていました。昭和30年代をイメージした駄菓子屋や玩具屋を集めたもので、毎週日曜日に開催されているとのこと。「道の駅」も近いので通りすがりの観光客がちょっと立ち寄るにはほど良い企画なのでしょう。

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 この手のレトロものって明らかに団塊世代をターゲットにしていて、個人的には懐かしくともなんともないんですが・・・

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2009.02.18

伊予路(8)

伊予路(7)から続く)

 2004年に在りし日の天守を古写真や天守雛形(模型)をもとに古来の技法で忠実に再現し、「平成の城普請」として一躍有名になった大洲城にも足を運んでみました。

 大洲は肱川流域の盆地の街で、街のど真ん中を肱川が流れています。川で分断された街は松江やソウルと同じようにそれぞれ肱北・肱南と呼ばれていますが、両市とは違って北が新市街で、南が旧市街に当たります。大洲駅があるのは肱北で、大きな地元スーパーも肱北に建っていますが、大洲城を初めとする観光スポットは全て肱南にあります。

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 肱南へ向かう橋の上からも大洲城がよく見えます。というか、大洲城が肱川を天然の堀として利用しているのが一目瞭然です。川のない南側には2重の堀を構えていたようですが、現在は悉く埋め立てられてしまいました。

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 市民会館の脇、肱川堤防上という非常に目立ちにくいところに現存の苧綿櫓があります。天守へと先を急ぐと見落としてしまうかもしれません。

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 本丸への道中は案内板が充実。しかも幅広に整備されているので親切かつラクチンではありますが、城巡りという感じがしないのもまた事実。

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 櫓を2基従えた4層4階の天守。先に述べたように天守は最近復元されたものですが、2つの櫓はともに現存。左が高欄櫓で、右が台所櫓。

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 天守内には築城の様子を模したジオラマも。

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 1~2階が吹き抜けになっているのが大洲城の特徴。

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 城外、といってもかつての三の丸ですが、そこにぽつんと南隅櫓が残っています。重要文化財なのですが、漆喰が剥がれたままで誠に残念。

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 この隅櫓、実は高校の運動場に面しています。啓太級のミドルシュートが隅櫓を直撃しないよう、祈るばかりです。

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2009.02.16

伊予路(6)

伊予路(5)から続く)

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 実質的な四国の西の端っこにあたる宇和島。鉄道もどん詰まりで、はるばる感が漂う街です。

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 宇和島といえば闘牛。駅前にはそのモニュメントが。

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 着いた時はまだ早朝で、商店街は祭りの準備中。

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 可愛い牛鬼も。

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 一見大手門のように見えますが、これは家老桑折氏の武家屋敷長屋門を移築したもの。残念ながら宇和島城は城門、櫓等が廃城後に悉く破却され、さらに戦災で追手門も焼けてしまったので、現存しているのは天守と上り立ち門のみ。逆に言えばよく天守が残ったなという気がします。

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長屋門からいきなり急激な登りになります。

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井戸丸を経由して二の丸へ。痛みの酷い石垣の修復工事が施されたとのこと。

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本丸には3層3階の天守。付櫓もなにもない独立式の天守で、やたらとでかい唐破風のついた玄関はまさしく天下泰平の象徴(=ここだけ極端に防御力が弱いから)。わずか3層の層塔式天守ですが、コンパクトな天守の割りに破風が多く、しかも屋根に反りがあるのでかなり派手に見えます。

宇和島城は藤堂高虎が築いたものを、宇和島藩2代伊達宗利が天守以下城郭の大修理を行い、それが今に残っています。やや派手目なのはいかにも「伊達好み」なんでしょうか。

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射撃用の狭間や石落としがないのもそうですが、天守内に障子があるというのも、いかにも戦闘意欲なさげ・・・

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登りとは反対側、いわば搦め手側に坂を下ると現存の上り立ち門。高校生がぞろぞろ登城してゆきましたが、清掃活動なんでしょうか?

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2009.02.13

伊予路(5)

伊予路(4)から続く)

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 湯築城を巡っているうちに日も翳ってきたので、お約束のごとく近隣の道後温泉へ。以前は観光名所である道後温泉本館前に結構車が入ってきて記念撮影にも難儀したものでしたが、いつの間にやら車を温泉前から排除した様子。

 夕食前に一風呂浴びる観光客が多いので、その時間帯を外せば温泉前の人通りはぐっと減ります。塩素臭くなってお湯自体は終わっているようなものですが、風情が楽しいのは今も昔も変わりありません。

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 観光地として松山が魅力的なのは地方都市には珍しく街の中心部が空洞化しておらず、大街道や銀天街といったアーケード街が活気を保っているところ。街の真ん中にある小山に城がでんと聳えているところは和歌山も同じなんですが、和歌山の市中心部が壊滅的に空洞化したのと対照的です。

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 観光案内役なのでしょうが、松山の観光スポットではいろんなコスプレが見られました。

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 道後温泉からの帰りに愛媛FCのオフィシャルショップを見かけたので急遽途中下車。勝山町電停が最寄。

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 誰一人いない店内って入りにくいですねぇ・・・

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2009.02.10

伊予路(4)

伊予路(3)から続く)

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 松山城を東雲口から降って「坂の上の雲ミュージアム」へ行ってきました。いうまでもなく松山出身の正岡子規及び秋山兄弟を主人公とする司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」を記念したものです。

 パネル展示が主で、しかも正岡子規と秋山好古、真之の松山時代及び東京で勉学中の時期を中心に扱っており、日露戦争の話はほんのちょっとだけ。従って「坂の上の雲」を読んでいないと面白くともなんともないかも。どちらかというと松山市民向けのミュージアムで、観光的にはちょっとがっかり。安藤忠雄の手がけた斬新といえば斬新、遊びが多いというか遊びだらけの建造物を楽しみに行くほうが正しいあり方かもしれません。

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 観光名所の松山城とは対照的に地元民にしか知られていないと思いますが、松山にはもう一つ城跡があります。といっても道後温泉の最寄なので全く知名度がないわけではないでしょうが。

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 湯築城は松山城よりもはるかに古く、中世の伊予に勢力を誇っていた河野氏の本拠。堀の内側には上級家臣の屋敷が立ち並んでいたとのこと。

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 航空写真で見ると外堀と内堀がきれいに2重の同心円を描いているのが良く判ります。しかし豊臣秀吉の四国侵攻の際、小早川隆景に包囲されてあえなく落城。

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中世城郭ゆえでしょうか、武家屋敷の中では武士や僧侶が集まって連歌を楽しんでいる模様が再現されていました。右端の赤い衣装が宗匠で、いわば連歌の師匠。

僧侶が長考に沈んでいる様子ですが、なんかレッズフェスタの阿部選手風でもあり・・・

伊予は侍の武ばった姿よりも、こんなのんびりした姿が似合います。

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2009.02.09

伊予路(3)

伊予路(2)から続く)

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二の丸から登り詰めた先に待ち構えるのは戸無門。門扉がないので文字通り「戸無」。

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 戸無門をくぐった先には筒井門。本丸へ向う道程中での最重要防衛拠点であり、いかにも堅固な構え。

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 隠門。筒井門の脇にまさに隠れるように据えられた門で、筒井門に取り付いた敵を背後から急襲するために設けられたものと見られます。

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 本丸前の最後の砦となる太鼓門。太鼓門・同東続櫓・太鼓櫓・巽櫓と合わせて1つの防御単位を構成しています。

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ようやく本丸到着。地形上の制約のためか、随分と細長い曲輪です。

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 馬具櫓。本丸広場の中にぽつーんと建っているので物置小屋か何かにも見えます。

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 正直言って松山城って近くで見るとかなり不細工。もともと五重の天守が建っていた土台に三重の天守を建てたため(その理由は諸説あるようですが、地盤が弱かったというのが説得力があります)、なんだかずんぐりした格好になっています。おまけに横に小天守を従えているために、さらにのっぺりした印象を受けます。

 松山城は市内のどこからでも良く見えるので、遠望して楽しむのが一番かもしれません。

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 天守に登って一ノ門、二ノ門を眺める。

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天守曲輪を固める南・北の隅櫓と十間廊下も見応えがあります。

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2009.02.06

伊予路(2)

伊予路(1)から続く)

 松山の観光名所といえば一に道後温泉、そして二に松山城。

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 元来松山城は市の中心部「大街道」近くの東雲口からロープウェイやリフトで登城するのがメインルートですが、いきなり本丸に入るのはどうも性に合いません、というわけでもないのですが、二の丸を経由して本丸に上がることにしました。

 二の丸はその跡に建っていた中学校の閉校後に発掘調査、公園としての整備がなされ、1992年から公園として開放されているとのこと。

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 二の丸多聞櫓。多聞櫓に続く門は通用口に相当します。

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 従って、その門をくぐるといきなり奥御殿に。奥御殿は藩主や家族の普段の居住所ですから、そんなところにいきなり闖入するというのは変といえば変。奥御殿は平面表示されるに留まっていますが、単に区画を図示するだけじゃなくて流水園に仕上げているのは面白い試みです。

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 藩の中枢としての役割を果たす表御殿のほうはちょっとした樹木園に。夏みかんに梅というのは季節感的にどうなんでしょう???

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 いったん二の丸史跡庭園の外に出て、いよいよ本丸へ。標高132m。ロープウェイで登る人が少なくないくらいですから、ちょっとした登山です。

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2009.01.27

紀州路(7)~紀三井寺

紀州路(6)から続く)

紀ノ川沿いに建つ粉河寺・根来寺の後は一転して、和歌山市南部の紀三井寺へ。昨日の大雪が嘘のように空が晴れ渡ってまいりました。

紀三井寺は770年に唐僧の為光上人によって開基され、正式には「紀三井山金剛宝寺護国院」といいますが、清浄水・楊柳水・吉祥水の三つの井戸より清水がこんこんと湧き出していることから専ら紀三井寺と呼ばれています(名の由来は近江の三井寺と似ていますが、両者は全く関係がなさそう)。

紀三井寺は以前真言宗山階派の寺院でしたが、1948年に独立して救世観音宗の総本山となっています。

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参道正面、境内への入口に建つ楼門。紀三井寺全体にそうなんですが、鮮やかな朱色が目を惹きます。

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ど派手な新仏殿。ここまで派手だと景観破壊の域に達しているような・・・

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しかも納骨壇の分譲!!!

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紀三井寺の楼門から上に、231段の急な石段があります。紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった逸話から「結縁坂」と呼ばれています。

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こちらは本堂。

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鐘楼(重要文化財)

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多宝塔(重要文化財)

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奉納されたしゃもじ。「しゃもじといえば宮島じゃろうが!」という気がしますが、しゃもじを奉納する習慣自体はあちこちにあるようです。

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2009.01.26

紀州路(6)~根来寺

紀州路(5)から続く)

 中世を代表する大寺院でありながら、粉河寺とともに秀吉の紀州攻めで全焼した根来寺にも足を伸ばしてみました。根来寺はJR和歌山線からやや離れているので、岩出駅からタクシー利用。

 開山は覚鑁(かくばん)。覚鑁はもともと高野山の高僧だったのですが、堕落していた高野山の信仰を建て直しを図る過程で覚鑁一門と反対派が対立。やむなく覚鑁一門が高野山を下り、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移したのが根来寺成立のきっかけ。

 室町時代末期には領地72万石、数多の子院を有し、鉄砲隊を持つ「根来衆」は数万にも及び隆盛を極めましたが、1585年秀吉の紀州攻めで伽藍や子院のほとんどを焼失。従って大塔・大師堂以外の建物は江戸時代に復興されたものです。

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 大門は他の建造物とは離れていて、途中時折車が行き交う道路を歩かねばなりません。もともとの根来寺の規模を大きさを実感するにはいいのでしょうが、逆に言えば衰微してしまったのを実感することにも。

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光明殿

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 国宝大塔。高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔です。

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 大師堂。大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物です。本尊の造立銘から1391年(明徳2年)頃の建立と推定されているとのこと。

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お地蔵さんとともに備えられていた達磨。

 根来といえは寺院よりもむしろ強力な僧兵、特に信長を悩ませた鉄砲集団として有名。また「根来衆」は忍者集団としても知られていますが、それを想起させるようなものは境内には一切ありません。

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 寺の外にはいろいろあるんですけどね。

 専ら「赤影」のイメージが強いせいだと思いますが、根来衆ってなんか悪役として登場するケースが多いような・・・

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2009.01.23

紀州路(5)~粉河寺

紀州路(4)から続く)

 一夜明け、今度は一転して寺巡り。人間、苦しいときは神仏にすがりたくなるものです。

 粉河寺は天台系の寺院(粉河観音宗総本山)で、西国三十三箇所第三番札所。伝承によれば創建は770年、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされています。千手千眼観世音菩薩がご本尊。

 1585年に豊臣秀吉が紀州に攻め入り、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失。現在の伽藍はほとんどがそれ以降の江戸期の再建とのこと。

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 駅前から粉河寺まで道路が真っ直ぐ延びています。両側に商店が立ち並んでいるところからすると元々は門前町だったのでしょうが、門前町の商店らしいお土産屋や飲食店はほとんどなく、単に地元の人向けの店ばかりになっています。

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 大門。規模の大きい三間楼門で、和歌山県では、高野山・根来寺に次ぐ威容を誇るとのこと。

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 中門。傍を川が流れている地形上の制約のためか、粉河寺は川に沿ってゆるやかに右にカーブしながら随分縦長にお堂が並んでいるような印象を受けました。

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 本堂。西国三十三箇所の寺院の中で最大級の堂で、周囲から一段高くなったところに建っています。屋根の勾配が違う入母屋屋根を積み重ね、さらに千鳥破風・唐破風を配した派手な格好をしているせいか、しょーもない天守よりもご立派に見えます。

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粉河寺最大の見所は本堂よりもむしろその前面の庭園かもしれません。国指定の名勝。石組みに植栽を組み合わせた枯山水であると同時に、本堂の前庭とその下の広場との高低差を処理する土留めとしても機能しているとのこと。

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千手堂。本尊の千手観音立像は秘仏で、昨年10月1日から10月31日までの間、217年ぶりに開扉されたようです。

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愛らしい身代わり地蔵さん。

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2009.01.20

紀州路(3)~和歌山城

紀州路(2)から続く)

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 徳川将軍15代の中の一番人気といえば、やはり8代将軍吉宗でしょうか。なにせ恐れ多くも将軍様にも関わらずパチスロになってしまうくらいの大人気。徳川中興の祖とはいえ政治実績は家康に遠く及ばないのですが、家康は時代のさきがけとなった信長やその模倣者である秀吉と比べるといかにも地味で、おまけにケチで陰険という定評が付け加わっているために一般受けしないきらいがあります。

 一方吉宗はなんてったって「暴れん坊将軍」ですからなぁ・・・ そもそも吉宗は何時頃から人気があったのか、それを調べてみるのも面白そうですが、それはさておきラーメン屋を2軒巡った後は吉宗ゆかりの和歌山城へ行って来ました。温暖な和歌山としては非常に珍しいことですが、雪が降りしきる悪天候下でのお城めぐりです。

 和歌山城は豊臣秀長(秀吉の弟)が1585年に紀州入りし、虎伏山を城地に選定して縄張りを行ったのがその始まり。その後桑山氏、浅野氏を経て1619年に徳川家康の十男・頼宣が紀州藩55万5千石で入城(=御三家の紀州徳川家が成立)し、城の大改修と城下町の拡張を実施しました。

 1846年に落雷で大小天守など御殿を除く本丸の主要建造物が全焼したものの1850年大小天守等が再建され、これらが明治の世になっても長らく残っていたのですが、1945年惜しくも米軍の空襲で焼失。現在の天守群は1958年に鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。

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 一の橋を渡って大手門から入城。もっとも実際は現存している城郭の外に広大な三の丸が広がっていたので「入城」というのは語弊があるかもしれませんが。

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 伏虎像。和歌山城の別名「虎伏城」にちなんで建てられたもので、阪神ファンが寄贈したものではありません。

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 搦め手に建つ岡口門。もともとはこちらが大手門でしたが、浅野時代の後期に大手門から搦手門として修復されました。和歌山城に残された数少ない現存の櫓門です。

 表坂から本丸に登ります。和歌山城の本丸は3層大天守と2層小天守、2基の隅櫓を多聞櫓で結んだ連立式天守群と付属する天守曲輪と、本の丸御殿の曲輪の2つの独立した曲輪から成っています。

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 巨大な石落としは、まるでロケットの噴射口のよう。

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 二の櫓と二の門

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 乾櫓

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 大小の天守が連立

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 天守に登ると櫓・門と天守が菱形に連結されているのがよく判ります。

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 二の丸は公園として開放されていて今は何もありませんが、御橋廊下が06年に復元されました。御橋廊下は藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と,紅葉渓庭園のある西の丸とを行き来する橋で、藩主とそのお付の人だけしか行き来できない奥向きの橋。

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 滑り止めのため小さな段差がついていて、これが足の裏に食い込んで結構痛い・・・

 雪の日で訪れる人もわずかなのに、橋の出入り口に係員をそれぞれ配置。作ったはいいが維持にものすごく金が掛かってしまってかなり微妙・・・

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 追廻門(現存)。門外の「扇之芝」に騎射のための追廻馬場があったのでそう呼ばれていたとのこと。朱塗りなので東大の赤門みたいですね。

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2009.01.15

鳥取紀行(9・了)

鳥取紀行(8)から続く)

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JR境線の終点「境港駅」。鬼太郎流には「鬼太郎駅」。駅舎の上に燈台が載っているのは鬼太郎とは無関係で、境水道のシンボルの境台場の灯台を模したもの。

駅前にはいきなり河童のオブジェが。

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Konaki

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ゲゲゲの鬼太郎に関連する銅像がこれでもかこれでもかと駅から東へ向かう道路「水木しげるロード」に並んでいます。

「水木しげるロード」は境港市の町興し計画の一環として1993年から銅像が置かれ始め、現在は100体を超える銅像が置かれているとのこと。当初は妖怪像の設置を気味悪がって反対する動きもあったそうですが、町興しの狙いは見事に成功し、今や鳥取砂丘よりも観光客が多いとのこと。鳥取砂丘は一度見たら十分ですが、こちらはリピーターを呼べそうですし。

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「水木しげるロード」の終点にある「水木しげる記念館」。03年に出来た境港観光の目玉施設ですが、訪れたのが月曜だったため休館。

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必然的といっては何ですが、商店街は地元の方向けの商店よりもみやげ物屋が増えました。空洞化で空き店舗になっていたところの再活性化に成功。

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 「水木しげるロード」にあえて難をいえば食事処が少ないかも。もっともだらだらと長居するような観光地ではなく、車やバスでやって来てざっと見て帰るような通過型観光地なので、買い食い系だけ充実していれば問題ないのかもしれませんが、せっかく日本有数の漁港を有していながら食の楽しみを看板に掲げているようには見えないのは少々残念。

 車による観光なら漁港周辺へ出かければいいのでさほど不便を感じないのかもしれませんが。

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帰りは米子空港から。JR境線に「米子空港駅」が新設されましたが、現在はまだ仮設の域に留まっており、空港までは細い連絡路を歩かされました。もう一度米子空港を利用する機会があるかどうか微妙で、今回は貴重な体験だったので記しておきます。

(了)

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2009.01.14

鳥取紀行(8)

鳥取紀行(7)から続く)

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山陰の商都米子と、日本有数の漁港として知られる境港を結ぶJR境線は、境港市が「鬼太郎の街」として町興しを図っているのと連動して早くから駅舎や車両を「鬼太郎モード」に塗り替えてきました。境線の始点米子駅は「ねずみ男駅」。

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売店も鬼太郎モードで「ねずみ男売店」。

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やってきたのは「目玉おやじ」。

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車内の天井にも「目玉おやじ」。

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途中駅で「ねずみ男」とすれ違い。

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帰りの列車は「猫娘」でした。

|-`).。oO 4種類ある鬼太郎関連ペイント車両のうち、結果的に「鬼太郎」だけ見てないことに・・・

いずれの車両もオンボロのキハ40。観光客はともかく、毎日ド派手なペイント列車で通学する高校生の心境やいかに。でも鬼太郎列車が走り始めたのは1993年。もうかれこれ15年も走っているのですから、日常の風景そのものなのかも。

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2009.01.13

鳥取紀行(7)

鳥取紀行(6)から続く)

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 月山冨田城を廻ったあとは鳥取県に戻って米子城へ。米子駅から15分ほど歩いて国道9号線に出ると米子城に残る石垣を仰ぎ見ることができます。

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 鳥取藩はほぼ現在の鳥取県全体に相当する部分を領有しており、本拠は鳥取城。「一国一城」の原則からすれば同じ鳥取藩内にもうひとつ本城に勝るとも劣らない城があるのは不思議な気がしますが、家老荒尾氏の居城として米子城が置かれました。

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 米子城は標高約90mの湊山に築かれた平山城で、4重5階の大天守に加え、3重4階の小天守すら備えていたようです。支城としては異例の規模。

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 小天守を支えていた石垣。末広がりの曲線美が一際目を惹きます。

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 こちらは大天守の天守台。

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 本丸から北(境港方面)を眺めてみました。米子城には石垣しか残っていませんが、その規模や眺望はなかなかのもので、天守だけがポツンと復元されている城よりは遥かに見応えがあります。なんでこういう城が「百名城」から漏れてしまうのか不思議ですわ・・・

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2009.01.08

鳥取紀行(6)

鳥取紀行(5)から続く)

翌朝は鳥取県を少し飛び出して、隣の島根県の月山冨田城を訪れてみました。

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月山冨田城は山陰本線安来駅からバスでさらに20分ほど山のほうに入った随分不便なところにあります。安来はもちろん「安来節」で有名。改築された駅舎にはいたるところに「どじょうすくい」の人形が。

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月山冨田城は有力な戦国大名だった尼子氏の本拠。結果的に後発の毛利氏との抗争に敗れてしまったので全国的な知名度に欠けますが、もともと尼子氏は山陰地方を広く領有した有力大名。広島の弱小豪族の一つに過ぎなかった毛利氏は山口の大内氏と山陰の尼子氏との板ばさみにあって苦労しました。

しかし、毛利元就の謀略は冴え渡り、尼子の内紛を誘って弱体化に成功。月山冨田城の支城を次々と陥落させたのち、最後は月山冨田城の攻略にも成功しました。

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月山冨田城は大雑把にいえば山麓部と山頂部に分かれます。山麓部は千畳平・太鼓の壇・花の壇等の小区画を経て山中御殿に至ります。上写真は「花の壇」で発掘調査をもとに主屋と侍所が復元されています。正面に見える山が「月山」。

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太鼓の壇に立つ山中鹿之助像。尼子氏再興へ向けて獅子奮迅した武将として昔は有名だったようですが、今は戦国時代にそこそこ詳しい人でないと知らないでしょうな。

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殿様の居住地が置かれた「山中御殿」。いうまでもなく城の最重要拠点で、山頂部は詰め城という位置づけ。ここで諸方面からの昇り口が全て合流します。山中御殿まではだらだらとした登りですが、ここから本丸へ向けて月山の急坂を一気に登ります。

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昨日鳥取城を登った時のダメージが少々残っているのか、「七曲り」はかなりきつく感じました。でも地元と思しき方々は朝の軽い運動のようなノリでホイホイと上り下りしていくんですなぁ・・・orz

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二の丸から。細長い谷の奥に城が築かれていることが良く判ります。立地的には越前の一乗谷に似ているかも。上写真では山に遮られていますが、遠く中海が見えます。

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本丸は二の丸と堀切で仕切られていて眺望は良くありません。勝日高守神社はいうまでもなく城の守護神。

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2009.01.05

鳥取紀行(5)

鳥取紀行(4)から続く)

倉吉・打吹玉川を周遊している間はずっと雨。歩いているのもやや辛くなってきたので予定を早めに切り上げて、山間に入った「三朝(みささ)温泉」へ足を向けることにしました。

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三朝温泉は三徳川の両岸に旅館が立ち並ぶ、観光色と療養色の入り混じったような温泉処。かじか橋には「縁結びのかじか蛙」が鎮座していますが、かじかと三朝温泉の関係は全くの不明。

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三朝を象徴する公衆浴場といえば「河原風呂」。文字通り三徳川の河原にある公衆浴場で、四方八方から丸見えです。おまけに三朝温泉の中心部である三朝橋に近いところにあるので周囲は人通りが絶えることはありません。でも物好きなオヤジが何人も入っているんですなぁ・・・

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三朝橋近くの温泉街。ラーメン屋や居酒屋、喫茶店はもちろんのこと、ストリップ小屋やゲーム場もある非常に古典的な温泉街の雰囲気を醸し出していますが、それほど規模は大きくありません。またこの一角に隣接する温泉旅館はいずれも小規模で、川に直接面して建つ大規模旅館と上手くすみわけができているようでした。

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足湯「薬師の湯」。温泉街のど真ん中にあり、街の方々が交代で管理しているようでした。

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三朝温泉の「元湯」は温泉街の外れに。近在の方と思しき方が三々五々入浴にやってくる他、ペットボトルで何本もお湯を持ち帰る方も見かけました。

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三朝橋のたもとにある「たまわりの湯」。観光客には「元湯」よりも立ち寄りやすい位置にあります。

以前来た時と外観がすっかり変わっていて驚きましたが、それもそのはず、以前の「菩薩の湯」を建て替えて08年4月27日にオープンしたばかりとのこと。

源頼朝の家臣である大久保左馬之祐が三徳山へ参詣に来た際に白狼に出会った時のが三朝温泉発見の切っ掛けといわれ、「菩薩の湯」があった頃は「大久保左馬之祐と白狼の出会いの像」が建っていたはずですが、これも姿かたちもなし。聞くと元湯のほうへ移転したとのこと。でも元湯に行った時には気づかなかったなぁ(´・ω・`)ショボーン

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「たまわりの湯」には円形の湯船が一つだけ。湯船まで変わってしまったのかどうか、さすがに記憶になし。

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2009.01.03

小鯵押寿司@小田原

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 この正月は久しぶりに新幹線で帰省。大晦日に帰ったのですが、ピークは越えたとはいえまだまだ東京駅&新幹線は大混雑。

 ちょうど昼飯時だったので、東京駅構内の「旨囲門」で「小鯵押寿司(1000円)」を購入。酒のアテには寿司系の駅弁が最適ですね。まぁ富山の「ますのすし」みたいに車中で食べにくいのは論外ですが。

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 「旨囲門」は東日本中心ながら地方の駅弁を幅広く扱っていますが開店がAM7:00と遅いのが難。関西・名古屋アウェー遠征時には大抵6時台の新幹線に乗るので普段は利用する機会がありません。なお改築前の大丸でも地方の駅弁を扱っていたと記憶しているけど、今はお惣菜屋の延長みたいな駅弁コーナーばかりになってしまって残念(それはそれで東京駅の駅弁より安くて美味いんだけど)。

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 「小鯵押寿司」は東華軒@小田原の主力駅弁。包み紙には「吟選」の文字が躍っていますが、確かに「小鯵押寿司」にも何ランクかある模様。正月休みで財布の紐が緩くなりがちな時期とはいえ、駅弁に1000円以上払うのはどうかと思うので「吟選」で手打ち。

 まぁ買ってはみたものの、内容のほうは見た目どおりで良くも悪くも予想を裏切らず。コストパフォーマンスだけを取り上げれば京樽とかでバッテラを買った方がよかっただろうとは思いますが、こういう機会でもないと首都圏近郊の駅弁を食べることはないのでそれに免じてということで。

 お口直しにか、一つだけ紫蘇の葉の巻き寿司が入っていますが、紫蘇嫌いなんだよなぁ・・・

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2008.12.31

良いお年を!

良いお年を!
久しぶりに新幹線で帰省。ちゃんと指定でE席確保。

でも泥酔注意やな(笑)

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2008.12.25

鳥取紀行(4)

鳥取紀行(3)から続く)

倉吉は鳥取県中部の小都市で江戸時代から明治・大正時代にかけて商工業都市として繁栄しました。街の中心部は倉吉駅から大きく外れていますが、白壁土蔵群が残る「打吹玉川」が伝統的建造物群保存地区に指定され、ちょっとした観光地になっています。

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といっても白壁土蔵が残る地域はさほど広くはなく、玉川を挟んだ一角のみ。白壁の上に赤茶色の石州瓦を載せているためか、土蔵群には「赤瓦n号館」と名前が付いていますが、この辺りは長浜を参考にしたのかも。上写真は赤瓦三号館「竹蔵」。玄関先に杉玉が見えますが酒屋さんではなく竹工芸店。

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 三号館に続く赤瓦二号館。こちらは倉吉の伝統工芸「はこた人形」と桐下駄の工房。オッサン的に縁のなさそうな店が続きます。

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 こちらは特に店舗として改装されていないようですが、赤い瓦、白い壁、そして黒い下見板張が浦和っぽく輝いています。

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赤瓦六号館「桑田醤油醸造場」。倉吉は谷口ジローの漫画「遥かな町へ」の舞台で、白壁土蔵群も登場するとのことで、その線からの観光案内も出ていましたが、残念ながらその漫画は全く知らず。

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赤瓦十号館と銘打たれている「観光案内所」。どう見ても白壁土蔵とはほど遠いっちゅーか、戦後まもなく建てられた民家にしかみえないんですが・・・

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白壁土蔵群から少し離れたところに旧国立第三銀行が建っていました。洋風建築の影響を受けた建物で白壁土蔵とは一線を画していますが、こちらは「赤瓦」ナンバーは振られていません。パチものっぽい十号館よりはよほど見るべき価値があるはずですが・・・

とはいえ、山陰で伝統的な商家がまとまって残っているところが珍しいためか、あいにくの天気にも関わらず「打吹玉川」は観光客で賑わっていました。

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2008.12.24

鳥取紀行(3)

鳥取紀行(2)から続く)

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 鳥取駅から徒歩10分弱。駅前に広がる飲み屋街の一角に県庁所在地の市街地に沸く温泉として有名な鳥取温泉を利用した公衆浴場の一つ「日の丸温泉」があります。いかにも建て増しっぽい最上階は貸しスペースなのでしょうか?

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 外観は現代的ですが、内実は昔ながらの銭湯そのもの。番台のオバハンに350円払って入浴。入浴にあたっての注意書きは全国共通のものが貼られ、おまけに東京オリンピック誘致のポスターまで貼られているので、まるで東京の銭湯のよう。

 浴室には長方形(といっても手前が若干弓なりに張り出していますが)の湯船が一つあるだけ。左側がバブル付きで右側が深めに掘り下げられています。塩化物泉らしいぬめりを少々感じますが、循環・加水・加熱・消毒と4拍子揃っているので、温泉だと言われなければわからないかも。それでも地元の方には人気があるのか、朝風呂を楽しむ方が三々五々やってきました。

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 鳥取の老舗駅弁屋「アベ鳥取堂」。鳥取牛とかあご寿司とかメニューを増やしてはいますが、何だかんだ言ってもカニ系の弁当が主力商品。

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 かに寿司とかにめしがありましたが、かに寿司はどこで食っても変わり映えがしないので、当たり外れのあるかにめし(1,100円)を選択。容器をかに型にしたのは福井と同じですが、心持ち横長のような気も。容器を同一規格にしてコストダウンを図っていたらそれはそれで感心しますが。

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 かにの鋏が2つ添えられていますが、中にはわずかながら肉が詰まっていました。

 駅弁の「かにめし」って福井だとか長万部だとか、そういう駅弁屋の差よりもむしろ駅弁を調製してからの経過時間、言い換えればかにめしのコンディションの差のほうが味に与える影響がでかい代物。売れ残って廃棄寸前のものとか、寒いところに長時間置かれたものを食って美味かった試しがありません。今回の鳥取のかにめしは駅弁が売れる昼飯時という「良い時間帯に買いましたねぇ!」だけあって、満足ゆく出来でした。

 写真には映っていませんが、福神漬が小袋に小分けされて添えられていました。

 

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2008.12.22

鳥取紀行(2)

鳥取紀行(1)から続く)

 写真等で見る鳥取砂丘には人影が全く映っていないため、鳥取砂丘は人煙稀な僻地にあるように思われがちですが、行ってみるとなんと鳥取市街の北外れ、バスで30分もかからないところにあって少々驚かされます。

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 鳥取城跡から鳥取砂丘へは「麒麟獅子ループ号」が出ていました。観光用に作ったのは良いけれど、外装の傷みが酷い。なお麒麟獅子とは因幡国に古くから伝わる獅子舞のこと。

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 砂丘会館で下車。鳥取県内のバス会社である日ノ丸自動車と日本交通はかつて非常に仲が悪く、鳥取砂丘内でも別々のターミナルを設けていて、砂丘会館は日ノ丸側のターミナルだったように記憶しています。しかし共に乗客数が激減して仲違いどころではなくなったのか、砂丘線は共同運行となって両ターミナルを巡回している模様。

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 鳥取砂丘はあいにく小雨でしたが、早速海岸に並行して走る砂丘列「馬の背」へ。雨で砂が締まってかえって歩きやすくなったかも。

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 砂丘というよりはステップといったほうが相応しいところもそこかしこに。防風林の植林等による緑化成功の証ともいえますが、観光資源をぶち壊しにするという見方も出来るだけに痛し痒し。

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 はだしやサンダルで歩いている方が多い他、どこかで借りてきたのか長靴で歩いている人も。

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 馬の背に到着。ここからさらに海へ向かって駆け下る豪の者もいましたが、帰りのことを考えるとちょっとそこまでは・・・ 砂丘会館から馬の背までは下って登る格好になるので、帰りも結構きついんですわ。

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 観光用のラクダが3頭ばかりいました。冬は雪が降る鳥取に連れてこられたラクダも気の毒と言えば気の毒。

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2008.12.16

鳥取紀行(1)

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ANAしか飛んでいない鳥取は飛行機代がバカ高なので、夜行バスで鳥取入り。鳥取城までは鳥取駅から歩いて20分ほど。

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鳥取藩池田氏32万5千石の居城だった鳥取城は標高263mの久松山頂の山上の丸を中心とした山城的な部分と、山麓の天球丸、二の丸、三の丸、右膳の丸などからなる平山城的な部分が組み合わさった構造になっています。

上写真の山が久松山で、その麓に小さく見えるのが鳥取城の象徴だった御三階櫓の石垣。

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大手門に相当する中の御門跡から城址に突入。右手に見えるのは鳥取県随一の進学校として知られる鳥取西高。

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太鼓御門跡。奥に二の丸、天球丸の石垣が見えます。

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二の丸を固める高石垣。鳥取城の本丸は山頂部にあるものの、江戸期には藩主の館が置かれた二の丸及び三の丸(=鳥取西高あたり)が事実上の城の中心だった模様。

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御三階櫓跡。二の丸の南西隅、市街地に面して立っていた3重の隅櫓で、本丸にあった天守が焼失してからは鳥取城を象徴する建物となっていました。

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御三階櫓から見た鳥取市街。真下にあるのはフランスルネッサンス様式の西洋館「仁風館」ですが、あいにく工事中。

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御三階櫓、走櫓とともに二の丸を固めていた菱櫓跡。

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菱櫓跡から見た天球丸。石垣修復工事の真っ最中で中には入れず。

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二の丸から山頂部へは厳しい登り。石段の整備状況も実に微妙・・・

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本丸の一角に天守台が残っています。天守は1692年(元禄5年)に落雷で焼失し、以後再建されず。

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江戸期には既に城としての機能を失っていたと思われる本丸ですが、その眺望は見事なもの。眼下に鳥取市街の全容、それを貫く千代川、そして日本海を前に横たわる鳥取砂丘がはっきりと見えました。

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2008.12.12

南部路(4)

南部路(3)から続く)

じゃじゃ麺を堪能した後は盛岡城址を散策。

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「白龍」からほど近いところに建つ桜山神社。っちゅーか、件のにんにくストリートは桜山神社の表参道のようなもの。桜山神社は、1749年(寛延2年)当時の八代藩主・南部利視が、初代藩主・南部信直の没後百五十年にあたり、その功績を称えて盛岡城内の淡路丸に勧請し社殿を建立したのがはじまり。

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神社の裏手にある「烏帽子岩」。盛岡城築城の際、この地を掘り下げた時に出てきた大岩で、この場所が城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされたとのこと。三の丸の一角に御神体があるというのはちょっと妙な感じも。

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盛岡城は北上川とその支流中津川の合流する丘陵に位置する平山城で、東北地方屈指の巨城なんですが、残念ながら櫓、門等の建造物は全く残っていません。ただ残された石垣は南部盛岡二十万石に相応しい威容を誇っています。

上写真は桜山神社から南へ下って三の丸~二の丸の裾野を巡ったもの。

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農林会館前から坂を登って本丸へ。

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本丸には天守代用の三階櫓があった他、二階櫓が2基あったそうですが、今は影も形もなく、なぜか銅像の台座だけがぽつんと残っていて哀れを誘います。日露戦争で戦死した南部家第42代南部利祥の功績を賞して建てられた銅像があったのですが、太平洋戦争末期の軍需物資供出でなくなったとのこと。

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本丸と二の丸は空堀で隔てられ、その間に橋が架かっていました。

その後三の丸、腰曲輪を経て撤収。公園としてはよく整備されているものの、縄張り、櫓跡、門跡等の案内はほとんどなく、史跡・城址としての価値を高める工夫がなされていないのは残念でした。

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盛岡城址巡りだけで盛り上がりに欠けたまま帰るのもアレなんで、定番っぽい市内観光も混ぜておきます。上写真は旧盛岡銀行本店。一見して判るとおり、日銀本店や東京駅等を手がけた明治期を代表する建築家である辰野金吾博士と岩手県出身の葛西万司博士の設計。

現在でも岩手銀行中ノ橋支店として利用されていて、赤レンガの建物に緑の「岩手銀行」の看板が付いていますが、看板は目立ちにくい色・形状に変えられないものなんでしょうか?

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旧盛岡銀行からほど近いところに建つ旧国立第九十銀行本店。盛岡の銀行としてはこちらが先輩格だったようですが、経営不振が祟って公金が扱えなくなり、その結果地元の有志が盛岡銀行を設立するに至ったとのこと。従ってその後両者が因縁の対決となったのは当然で、本店建築に際しても両者には激烈な競争があったとか。

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 旧第九十銀行本店を写真に収めようとすると、前の電信柱がうざくてしょうがないのですが、この電信柱はなんと竣工当時からうざい存在でしたwww

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旧盛岡銀行本店から北へ歩くと、紺屋町番屋。盛岡消防分団として1913(大正2)年に建てられ、今なお現役。「盛岡市消防団第五分団」の文字がはっきり見えます。といっても望楼が利用されることはないのでしょうが。

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中津川に架かる「上の橋」。1609(慶長14)年に架橋され、高欄に据え付けられた青銅擬宝珠(ぎぼし)が有名。下流の「中の橋」にも元々は擬宝珠があったそうですが、中の橋が洋風に架け替えられた際に上の橋に移された擬宝珠もあるとのこと。

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裁判所構内にある石割桜。花の季節じゃないと有り難味もへったくれもありません。”若く明るい歌声にー”の「青い山脈」って津軽の話だったのにおかしいなぁってちょっと思ったのですが、よく考えるとそれは「雪割桜」でした・・・orz

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盛岡市街中心部と盛岡駅を結ぶ「開運橋」。1890年(明治23年)の盛岡駅開業に伴い、当時の岩手県知事石井省一が私費で完成させたもので、翌年市が買収するまでは通行1回1銭の橋銭が取られていました。2007年7月から夜間ライトアップが始まったとか。

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2008.12.10

南部路(2)

南部路(1)から続く)

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東門をくぐるとなぜか茅葺き屋根が地べたに。2×4工法っぽい手法で復元建物でも作っている最中なのかと思いましたが、これは酒や味噌などを入れる「納屋」でした。

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当主が来客と会ったり、様々な儀式などを執り行う「主殿」。

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南部氏が広間で武運長久を祈って正月十一日に行った儀式の様子を人形で再現。

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こちらは「祈祷之間」。

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南部といえば馬の名産地。上写真は来客用の「中馬屋」ですが、主殿の横には当主が所有する馬を繋ぐ「上馬屋」があり、さらに中馬屋の隣には夜間や冬の間馬を飼っておく「下馬屋」がありました。

もっとも当時の馬はいたって小柄で、体格の良い馬でも体高(肩までの高さ)は1.3mほどだったとのこと。

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火を使った形跡がないことから「工房」と推定される建物。左側で鎧、右側で弓矢を製作・修理。

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こちらは鎧や刀の「つば」を作っていた「鍛冶工房」。深さ1mの竪穴式建物で、手前にふいごが見えます。火を使うので周囲は土壁で囲まれています。

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当主やその家族が使う道具や衣類などが収められていた「板蔵」。板蔵の前には奥御殿(平面表示のみ)があったためか、板蔵には黒漆塗りの長持、唐櫃、行器、割籠など奥方の持ち物っぽいものが多数。

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根城巡りを終えて、バスで街外れにある八戸駅へ。八戸駅に来たのは東北新幹線が八戸に延びた時以来。駅前に「東横イン」が建ったくらいで相変わらず寂しい駅前。

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ホテルを併設しているのでぱっと見は大きく見えますが、八戸駅ってほんとに何にもないんですなぁ・・・ 駅の隣に建つ「八戸地域地場産業振興センター(『ユートリー』)」に気をつかったのか、駅構内にはお土産品等の売店がほとんどありません。駅弁は昔から充実していますが・・・ 

あまり観光色の強い街ではないし、新幹線が青森まで延びてしまうと駅の乗降客がガタ減りするのが判っているので、身の丈サイズの駅にしたのかも。

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2008.12.09

南部路(1)

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 何の脈絡もなく、唐突に旅行シリーズが始まります。現実逃避ともいいます。

 夜行バスで八戸到着。陽が昇るにつれて気温が急上昇し、残暑を感じさせるものがありましたが、バスが着いた早朝は長袖シャツだけでは寒いくらい。学生はともかく、ある程度年を召した方は大抵一枚羽織っていました。

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八戸の繁華街である三日町から西へ歩いて30分くらいで根城(ねじょう)址へ。八戸市博物館前には根城を築いた南部師行の銅像が建っています。

南部師行は南北朝時代、南朝に属し、1334年(建武元年)に根城を築城。根城の名は「南朝の根本となる城」という願いから来たものと言われています。

南部氏といえば江戸期は現在の岩手県の大半と青森県の一部(八戸周辺)という広大な領地を治めていた大名として有名ですが、根城を本拠とする八戸南部氏と、三戸に本拠を置く三戸南部氏の2系統があった模様。時代が下るに連れて三戸南部氏が有力になって桃山期には宗家の地位を固め、江戸期に盛岡藩が成立した後、八戸南部氏は遠野に転封、根城は廃城という歴史を辿っているようです。

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根城は馬淵川南岸の河岸段丘を利用して建てられており、東から東善寺・中館・本丸と曲輪が連なる形式をとっています。なお国道を挟んだ南側にも2つ曲輪があったそうですが、宅地化が進んでその様子は現地では判然としませんでした。

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博物館傍にある八戸城東門。八戸城は根城とは全く別の城郭で、現在の本八戸駅近くにあったもの。1859年(安政8年)に台風で倒れ、八戸藩家老木幡氏に払い下げられたのを機に根城に移築されたとのこと。ここから「史跡 根城の広場」に入ります。

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根城東端にあたる東善寺館を囲む空堀

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城内には籠城戦になっても食料に困らないように「実のなる木」が植えられていたとの案内板がありましたが、園内はしだれ桜だらけのような・・・

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中館との境をなる空堀。左に四阿(あずまや)が見えます。

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中館と本丸の間に架かる木橋。本来は手すりはありません。

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当然ながら本丸も深い空堀に囲まれています。遠くの住宅を見ると根城が一段高いところに建っているのが判りやすいかと。

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本丸には東口、西口、北口と3つ入口がありましたが、東口のみ開放。

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2008.12.08

ひっぱりだこ飯~ごらんアウェー:万博2008(5・了)

万博2008(4)から続く)

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 新大阪駅では「水了軒」が地元業者として頑張っていますが、どうも今一つ食指が動く駅弁がありません。ところが隣の駅弁コーナーで神戸の「淡路屋」の駅弁を扱っているのが判ったので、そちらを物色。神戸どころか、本来西明石で扱っているはずの「ひっぱりだこ飯(980円)」の姿も見えたので、それを買ってみました。西明石駅を利用することなんてそうそうはないでしょうし。

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 ひっぱりだこ飯は、「平成10年4月5日 明石海峡大橋開通記念」で開発・販売された模様。こういう記念物は普通一年もすれば姿を消してしまうものですが、ひっぱりだこ飯は10年以上も生き残っています。

 今時珍しく陶器製の容器。いうまでもなく蛸壺を象っています。

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 裏面にはタコのレリーフ。

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 たこ飯といってもタコの煮汁でご飯を炊いたような感じはしません。限りなくごく普通のゴボウの醤油味炊き込みご飯にメインのたこ煮、蒲鉾、タケノコ土佐煮、菜の花和え物、錦糸卵、シイタケ煮、穴子煮、ニンジン煮などをごてごてと置いた感じ。メインのたこの煮物は酒のアテにはまずまずですが、いかんせん2切れほどで量が少ない。駅弁としてはさほどレベルが高いとはいえません。

 また口が狭くて底が深い蛸壺状の容器はネタ的には面白いのですが、当然ながら非常に食べづらい。従って容器がユニークであるがゆえに話の種として食べておく価値があるというだけに留まるかと。

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2008.12.04

京阪中之島線(2)~ごらんアウェー:万博2008(4)

京阪中之島線から続く)

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3000系はしばらく発車しそうにないので、先発の区間急行で天満橋へ。途中渡辺橋、大江橋、なにわ橋を過ぎてあっという間に天満橋到着。これにて全線完乗で目標達成。

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新線区間と比べると、基点の天満橋駅はむき出しのコンクリート柱が目立ち、なんとも殺風景。よく考えてみたら、京阪っていつも淀屋橋から乗っているから、天満橋で降りたのって初めてかも。

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モニュメントらしきものがあるにはありましたが、これは中之島線開業とは無関係で、それ以前の「開業90周年」を記念したもの。

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 一駅戻ってなにわ橋駅で下車。木材の外壁と吹き抜け状の高い天井があいまって博物館ないし美術館みたいな面持ち。

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駅の出入口はなんと安藤忠雄氏の設計。

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赤レンガの中央公会堂が一際目立つ中之島の東端。

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でもなにわ橋駅の東側出口は京阪本線北浜駅とは目と鼻の先。土佐堀川を挟んで向かい合う関係。

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さらに一駅戻って大江橋駅で下車。この駅の外壁は他の駅とは一線を画すがごとく、花崗岩を採用。

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なにわ橋駅と違って大江橋駅は天井がやや低く、柱が太くなってやや圧迫感も。

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大江橋駅はこれまた土佐堀川を挟んで京阪本線・淀屋橋駅が至近距離。

端的にいってしまえば、京阪本線をそのまま淀屋橋から西へ伸ばせれば中之島線なんていらんかったんやろうけど、それが物理的にできないのでなんとかがんばって別線で伸ばしてみた。でも、本線との関係がなんとも微妙・・・そんな感じでしょうか。

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2008.12.03

京阪中之島線~ごらんアウェー:万博2008(3)

ごらんアウェー:万博2008(2)から続く)

今回の大阪遠征の副目的は今年10月19日に開業したばかりの京阪中之島線試乗。

天満橋駅から中之島駅まで、古くからの大阪のビジネス街であるものの、交通の便が微妙に良くなかった中之島を東西にぶち抜く新路線です。ただ試乗してみると、その「微妙」加減をいたく実感させられました。

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試乗は中之島線の終点「中之島駅」から。中之島駅は中之島の西端。JR大阪環状線福島駅からそれほど遠くないところにあります。福島界隈は鉄道路線が稠密なところで、JR大阪環状線福島駅の200m南に阪神福島駅やJR東西線新福島駅があり、さらに300mほど下って堂島川を渡るとすぐに中之島駅の入口が。

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但し、中之島駅の改札口はこの入口からかなり西へ歩いたところ、ちょうどリーガロイヤルホテルの真下辺りにありました。確かにリーガロイヤルの辺りだと福島駅は遠いですな。

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首都圏ではあまり見かけない、クネクネ状の階段手すり。

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この時間帯は10分間隔で運転。ビジネス街なので休日は本数が減るのは当然といえば当然ですが、首都圏の感覚だと「電車来ねぇなぁ・・・」と思うだろうな、そんな微妙な間隔・・・

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壁面には木を多用して落ち着いた雰囲気を演出。

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 車止めの先にはトンネル掘削に用いられたシールドマシンのカッターが埋め込まれていました。

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中之島線開業に併せて投入された3000系が入線。開業してひと月以上経ち、駅からは開業記念の飾りつけはほとんどなくなってしまいましたが、3000系にはヘッドマークが健在。鉄活動に勤しむオヤジの姿もちらほら。

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円を多用した、なんとも優美なデザイン。

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特別料金なしで、このゆとり。まぁ人口が減少傾向に転じた関西ならではという見方もできますが、ゆとりに対価を求められる首都圏から見れば羨ましい限り。

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2008.12.02

深川めし~ごらんアウェー:万博2008(2)

ごらんアウェー:万博2008(1)から続く)

 鬱々とした面持ちで大阪へ。

 「むしゃくしゃして買った」ではありませんが、どうもおにぎりでは物足りない感じがして朝から駅弁を奢りました。

 「駅弁ならなんでも良かった」というわけではないので、一応吟味はしてみるんですが、早朝の東京駅ってあんまりそそる品ってないんですね。大丸が空いている時間帯なら、そこで地方の駅弁を買うのが正解なんですが。

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 で、やむを得ず定番の「深川めし(850円)」を購入。とにかくむしゃくしゃしているので早朝からビールも。

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あさりの炊き込みご飯をベースとして、海苔の上に穴子とハゼの甘露煮。全般にちょっと味付けがしつこくて、しかも甘めなのでビールのアテにはちょっと辛い。「今は反省している」

副食についているべったら漬けや茄子の漬物、油揚げといった面々のほうがアテによかったかも。

で、この「深川めし」はJR東海パッセンジャーズ製。JR東日本で売っているのは同じ「深川めし」でもNRE大増製で内容が違うとのこと。

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ちなみに先般丸亀へ遠征した時も東京駅で「貝づくし」という「深川めし」と似たようなコンセプト。っちゅーかほぼパクリだろうと思われる駅弁を買ったばかり。こちらもJR東海パッセンジャーズ製。

東京駅で売っている「深川めし」は全てNRE大増製だと思い込んでいて、JR東海パッセンジャーズ製があるとは夢にも思わなかったことはナイショです(恥)。

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2008.11.27

明治村(5・了)~ごらんアウェー名古屋2008

明治村(4)から続く)

明治村って、人がそこそこ集まる場所の割には食事処が少ないような感じがします。大規模なものは2丁目に「明治村食堂」がある他、5丁目に「洋食屋浪漫亭」があるくらい。

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こちらは1丁目の「大井牛肉店」。岸田伊之助が1887年(明治20年)頃牛肉販売と牛鍋の店として建てた店で、館内で牛鍋を賞味できます。ただ安いコースでも4000円もするのでおいそれは行きません。

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そこで重宝するのが各所に出ている屋台。大井牛肉店横では、明治時代にベストセラーになった小説「食道楽(しょくどうらく)」で紹介している材料・調理法を再現したコロッケが売られていました。

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しっかり肉が詰まっている上に、ややジューシーな味わいがグー!同じく「食道楽」のレシピを活用したカレーぱんやソーセージドッグ等も園内で売られていました。

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明治村から名古屋へ戻り、試合開始前の腹ごしらえに「山本屋総本家」へ。「山本屋」というと大抵の赤サポは名古屋駅前地下街の「山本屋本店・エスカ店」に行かれるかと思いますが、あそこはいつもやたら混んでいる上に、観光客向けになんだかんだとオプションを付けて単価を上げているんでワシ的にはあんまり好きではありません。とはいえ、キックオフまであんまり時間もないので今回は駅横の名鉄百貨店内にある「山本屋総本家」にしました。

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お約束の「煮込みうどん定食」。山本屋本店エスカ店だとおかわり自由の漬物が出てきたかと思いますが、ここはそういうものは一切ありません。でもかえって落ち着いていていいんじゃないかなぁ・・・ 「本店」と「総本家」の味の違いが判るほど頻繁には食っていないので、その辺はご容赦(まぁ濃厚な味噌味が全てを支配しているので大差がないといってしまっても差し支えないでしょうが・・・)。ただいつもは1.5人前を頼んでいるので、1人前だとちょっと量が少ない感は否めませんでした。

(了)

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2008.11.26

明治村(4)~ごらんアウェー名古屋2008

明治村(3)から続く)

最も奥にある5丁目はなぜか治安関連の施設が固まっています。

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東京駅警備巡査派出所。丸の内側の駅前広場にあったとのことですが、赤煉瓦・白帯・玄関上のアーチ型の庇等、東京駅のデザインをそのままパクッた風。

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宮津裁判所。宮津といってもピンと来ない方がほとんどかと思いますが、京都府北部の日本海に面した小さな街です。裁判所も上級審になると洋風煉瓦造だったそうですが、田舎の地裁だと小学校と大して変わりませんな。ただ本来はH型の左右対称形。明治村にはその右翼部分が移築されたそうなので、もともとはもうちょっと威風堂々としていたのでしょう。下写真は刑事裁判の模様。

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金沢監獄中央看守所・監房。実刑判決が下るとここにぶちこまれます。中央看守所から5つの監房が扇型に並んでいました。

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囚人が東野某にそっくりな気がしてなりません・・・

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明治村の最も奥にあるのが帝国ホテル。中央玄関部分だけが移築保存されています。大谷石を多用した重厚な造りですが、天井が低くてなんとこれで三階建て。映画「スパイゾルゲ」のロケ地にもなったとのこと(映画の出来はアレでしたが・・・)。

本来はここでまったりしたかったところですが、ぼちぼちキックオフの時間を気にしないといけない時間帯になってしまいました(^^; 

園内周遊バスで入り口へ戻りましたが、同じような帰り支度の客が増えたと見えてバスは超満員。にも関わらず、運転手はいつも通り車窓から見える建物の解説をオヤジギャグをかましながらノンビリ進行なのであった・・・orz

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2008.11.25

明治村(3)~ごらんアウェー名古屋2008

明治村(2)から続く)

人造池である「入鹿池」に面した3丁目は2丁目とは対照的に人気が少なくて寂しげ。

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品川燈台。観音埼・野島埼に続いて明治3年に点燈された洋式燈台。観音埼・野島埼両燈台は関東大震災で倒壊してしまったので、この品川燈台がわが国最古の洋式燈台になります。品川といっても品川台場(第二台場)に建っていたそうで、港湾整備で第二台場が撤去された際に明治村へ移設されたとのこと。

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品川燈台駅から京都市電に乗って4丁目(名古屋駅)まで歩を進めます。京都は日本で初めて路面電車が走った街で、往時は北大路~九条、東大路~西大路といった京都の中心部を駆け巡っていました。

明治村は縦長というか奥が深いので、園内を駆け巡るバスや路面電車を適宜活用するとラクチン。

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宇治山田郵便局。木造平屋ながら銅版葺き。中央は円錐ドーム屋根で、おまけに左右に小ドームを載せた角塔を従えた随分と派手な外観ですが、これがなんと伊勢神宮外宮前の神域正面角地に建っていました。現在も明治村内で切手・ハガキの販売、郵便、貯金などの窓口業務を行っています。

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呉服座。いうまでもなく芝居小屋です。 大阪府池田市に建っていました。まぁ芝居小屋は先般「金丸座」を見てきたばかりなので、特にどうということもなく。

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半田東湯。「ゆ」の暖簾が見えますが、中には足湯が設けられていました。本来は左が男湯で、右が女湯ですが、足湯は女湯側に設けられており、もちろん混浴(笑)。

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2008.11.06

明治村(2)~ごらんアウェー名古屋2008

明治村(1)から続く)

2丁目は明治村で最も早く整備が進んだところ。

他のゾーンよりも明らかに建物が立て込んでおり、それゆえか人通りも多いような印象を受けました。

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東山梨郡役所。時の山梨県令藤村紫明が奨励した洋風建築の一つとのこと。左右対称だとか正面ベランダ付きだとか、先に紹介した三重県庁舎と合い通じるところがあるデザイン。

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バルコニーに上がってみました。右手前に見えるのは第四高等学校物理化学教室。

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東松家住宅。もともと名古屋市中心部に建っていた商家で、東松家は明治20年後半までは油屋を生業とし、その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいたとのこと。派手な外観の洋風建築を見た後だと、随分目に優しく感じます。

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最も手前が札幌電話交換局。次から次へと団体さんがやってきて、建物の姿をカメラに納めるのに難儀しました。札幌電話交換局の奥は安田銀行会津支店、京都中井酒造と並んでいますが、和風・洋風の建物が入り乱れているあたりが、いかにも明治なんでしょうなぁ・・・

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安田銀行会津支店は写真館を兼ねていてコスプレが楽しめます。

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2008.11.05

明治村(1)~ごらんアウェー名古屋2008

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犬山城下を巡った後は明治村へ行ってきました。上写真は明治村入口の第八高等学校正門。

明治村は犬山駅からバスで20分くらい。犬山市街南東の丘陵地にあります。

で、行っては見たのですが、いやぁ半日では全然時間が足りませんでした。移築された建築物を単に見て回るだけでも1日がかり。しかも各館内にはその館にちなんだ展示物がありますから、それらをじっくり見て回ると1泊2日ですわ。

見所の多かった明治村の建築物を逐一紹介していると切りがないので、重要文化財に指定されているものを中心に掲げておきます。

明治村は1丁目~5丁目の5つのゾーンに分かれています。バス乗り場に一番近いのが1丁目で、一番奥が5丁目。ただゾーン毎に明確なテーマがあるというわけではなさそうです。

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聖ヨハネ教会堂。教会といえば長崎に建っていたものと思いがちですが、この教会はなんと京都、しかも河原町五条という京都の中心部に建っていました。5丁目にも聖ザビエル天主堂が建っていますが、こちらも京都・河原町三条からの移築。教会の目立つ京都っちゅーのはイメージに合いませんなぁ・・・

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西郷従道(=西郷隆盛の弟)邸。案内板には「従道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、明治22年には明治天皇の行幸も仰いだ」とありますが、公的接待を私邸で行うというあたりに時代を感じさせます。

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三重県庁舎。県令岩村定高の発案のもと、地元の大工清水義八が設計した洋風庁舎。左右対称、2階バルコニー付きとど派手な外観。明治12年建設とのことですが、財政の苦しかった明治初期によくこんなもんを建てたなぁというのが正直なところ。

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2008.10.31

犬山城下~ごらんアウェー名古屋2008

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 犬山城の項でも触れたように、犬山は独立した藩ではなく(犬山藩が成立したのは明治新政府が成立してから)あくまでも尾張藩の附家老成瀬氏の支配地に過ぎなったので、「城下町」といってしまうのはちょっと微妙な感じがしますが、それでも国宝犬山城を見に来る観光客を町内に回遊させるべく、街づくりを進めています。

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旧礒部邸。江戸期の建築様式を持つ木造家屋で、間口が狭く奥行きが深い典型的な町家の作り。上に凸と張り出した屋根が特徴的ですが、これは「起り(むくり)屋根」というそうです。

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 ただ残念ながら江戸期・明治期の家屋がそのまま残っているところはそんなになくて、多くは現代家屋の外観を昔風に改装した感じ。上写真は地元のミニFM局。朝早くからオンエア中でした。

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 犬山で見ておくべきなのは「犬山祭」で街中に繰り出す車山(やま)の数々。上写真は犬山市文化資料館に展示されたものですが、これ以外にも「どんでん館」に4両あるそうです。犬山の車山は3層構造。最上部にからくりが仕込まれているとのこと。

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2008.10.30

犬山城~ごらんアウェー名古屋2008

リーグ戦名古屋戦はナイトゲーム。有り余る時間を生かすべく、愛知県北端の犬山まで出かけてきました。

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商店街の先にちょこんを顔を出した犬山城。天守までは名鉄犬山駅から徒歩20分くらいでしょうか。

犬山城は1537年(天文6年)織田信康によってその基礎が築かれたとされ、江戸期になって成瀬正成が天守3、4階を増築。その当時の天守が現存していて国宝に指定されています。

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犬山城天守は木曽川に面した丘陵上に建っていて、商店街から続く南側登り口は神社になっていました。

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犬山城を取り囲む櫓はいずれも模擬。姫路城のように天守だけではなく、付属の櫓、門あたりまで現存していると城郭として一層価値があるのですが、事実上天守だけっちゅーのはちょっと寂しい。もっとも犬山城は独立した藩の城ではなく、あくまでも尾張藩の付家老であった成瀬氏の居城に過ぎないので、あんまり派手派手しくなりようがありませんが。

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二重櫓の上に望楼を乗せた典型的な望楼型天守。3重4階、地下1階。3階にちょっこんと唐破風が付いています。向かって右側には付櫓も。

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でも国宝の天守にしては安っぽい入口・・・石垣を開口した地下から天守に入ります。

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天守から見た木曽川 。木曽川河原から見た犬山城の姿を写真等でよく目にします。

犬山城はもともと成瀬家の個人所有の城として知られていました(濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、1895年に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡)。2004年に財団法人犬山城白帝文庫に移管されましたが、天守内は成瀬家関連の資料が多く展示されています。

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2008.09.17

ひたちなか海浜鉄道(下)

ひたちなか海浜鉄道(上)から続く)

 那珂湊の観光名所といえば反射炉跡くらいで、それ以外はさしたるものはありません。っちゅーか、大抵の方は那珂湊といえば漁港であり、海産物販売センターであり、海の幸の食い倒れ処でしょう。

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 っちゅーことで、「おさかな市場」にも立ち寄ってみました。といっても海産物自体に興味は無いので、専ら食い倒れのほう。

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 黄色い毒々しい外観がアレですが、流行っているっぽかったのでこの店に突入。昼飯にもちょっと早いか!という時間帯でしたが、店内は結構な賑わい。お前ら他にやることはないのか!!!と思いましたが、オマエモナーという反論が容易に浮かぶのでそんなことはおくびにも出さないのが大人の心構え。

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 貧乏性なので一皿あたりの値段をすかさずチェックしにゆくわけですが、大体のものは一皿210円。近所の回転寿司屋の倍なので漁港といっても安くはありません。ネタで勝負!っということなのでしょうが、いかんせん近所ではほとんど食っとらんので値段相応の差があるのかどうか確認できず。

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 すぐに判ったことは、この店はネタのでかさが売り物でした。その代わりシャリがちょっとパサパサしてイマイチだったような・・・

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 たまに国旗をつけた寿司がやってきます。最初は原産地を示したものかと思ったのですが、どうもそうでもなさそうな・・・

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 満腹になった後は一通り販売センターを冷やかして回ります。鹿島産の牡蠣って初めて知りました。

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 回転干物は漁港でよく見かける光景ですが、クリスマス飾りはねぇだろうwww

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 那珂湊駅へ戻って終点阿字ヶ浦へ歩を進めます。

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 阿字ヶ浦は素寒貧とした無人駅。海水浴場が近くにありますが、駅は段丘の上にあるので海辺の駅という感じは全くしません。

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 駅構内にはボロボロになったディーゼルカーが留め置かれていましたが

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 いったいいつの奴やねん!

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 坂を下ると太平洋が見えてきました。

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 プレハブ造りの古色蒼然とした「海の家」。いや昔の海の家は木造だったか(^^?

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 夏の終わりは雨続き。久しぶりに晴れ間の差した日でしたが、風がやや冷たいためか、浜辺に出ている人は数えるほど。夏の終わりどころか、秋の訪れを思わせる光景でした。

(このシリーズ終わり)

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2008.09.16

ひたちなか海浜鉄道(上)

茨城交通・湊鉄道線が第三セクター「ひだちなか海浜鉄道」に転換したのを機に、久しぶりに同線を試乗してきました。

ひだちなか海浜鉄道はJR常磐線勝田駅から太平洋岸に近い阿字ヶ浦までを結ぶ15km弱のローカル鉄道で、途中漁港で有名な那珂湊を通ります。

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ひだちなか海浜鉄道は勝田駅の1番ホームから出発。駅の改札口はJRと共用で、いったんJRのホームに入った後で海浜鉄道専用の中間改札を通る仕組みになっていました。

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茨城交通時代に試乗した時は、国鉄等から譲り受けたオンボロのディーゼルカー、しかもクソ暑いのに非冷房(俗にいう「暖房車」)ではなはだ閉口したものでした。しかしいくら資金難のローカル鉄道とはいえそのままではあんまりなので、いつの間にか新潟鉄工製の新鋭車が入っていました。

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 車体の配色は茨城交通時代そのものですが、中央に新会社のロゴが記されています。

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 勝田から10分ほどで沿線の中心都市である那珂湊到着。

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 ここには鉄道の車庫も置かれており、件のオンボロディーゼルカーもここに留め置かれていました。

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 黄色いボディーに赤細帯のキハ2005

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 青ボティーのキハ222

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 いかにも使ってなさげな機関車も。

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 車窓からはステンレスボディーのディーゼルカーも見えました。

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 那珂湊駅内ではボランティアの方々(?)がインフォメーションコーナーを設置。観光色があるようで無い路線なので、地元の方々の支援が鉄道存続には必要不可欠。

 那珂湊駅は映画「フラガール」のロケに使われたとのこと。フラガールの舞台となった常磐炭鉱とはかなり離れていますが、舞台となった地にはローカル然とした駅がなかったのでしょうか。

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 駅から10分ほど歩いたところに建つ山上門。もともとは水戸藩江戸小石川藩邸に建っていたものを、那珂湊出身の深作氏が昭和になって陸軍から払い下げを受けて当地に移築・保存したものとのこと。

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 山上門をくぐった公園内には反射炉跡が。「反射炉」といえば韮山のものが有名ですが、こちらは昭和になって復元された模型。水戸藩は尊皇攘夷の魁であると同時に開明的な側面も持っていて、薩摩や長州と同様にこのような反射炉を作ってはいたのですが、肝心な時に内部抗争で疲弊してしまい、結局明治維新の主役になり得なかったという残念な歴史を持っています。反射炉はその内部抗争の過程(元治甲子の乱)で破壊されてしまったとのこと。

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 反射炉の横には耐熱レンガ製造用の炉も(これも模型)。反射炉を作るためには耐熱レンガが必要なので、併せて建造されたとのこと。

(続く)

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2008.09.11

阿波&讃岐紀行(7・了)

阿波&讃岐紀行(6)から続く)

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琴平から電車に乗って城下町丸亀へ。

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駅の天井に飾られた凧。丸亀といえば団扇が有名ですが、同じ紙と竹で作るものゆえ凧作りにも力を入れているのかも。

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駅から城へ向けて伸びる商店街はごらんの有様。

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 駅から徒歩10分ほどで丸亀城到着。高石垣の上にちょこんと小さな天守を乗せただけの随分と小ぶりな城ではありますが、これでも全国に12しかない現存天守の一つで非常に貴重なもの。天守はもちろん現存天守の中で最小。

 丸亀城は当初生駒親正が豊臣期に讃岐17万石を与えられ、高松城を本城とした時の支城として位置づけられていました。江戸期に入って当然ながら一国一城令により破却の危機にさらされましたが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守ったとのこと。

 その後生駒氏が改易となり、山崎氏が5万石で丸亀藩が成立したから丸亀城がその本城となるというやや複雑な歴史を背負っています。現在の丸亀城は山崎氏の後に入った京極氏の手によるもの。

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 大手二の門と一の門。ともに現存。大手一の門は、1670年(寛文10年)に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻(とき)を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれていたとのこと。

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丸亀城の誇る高さ60mの高石垣。緩やかに裾野を描きつつも、上に行くに従って急激にそそり立つ「扇の勾配」。伊賀上野城のような直線的な高石垣と対照的で、熊本城と似たタイプです。天守がしょぼい代わり、この高石垣を全面に出して城に威圧感を加えています。

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 天守は見る向きによって全く印象が違います。端的に言えば瀬戸内海からよく見える側はそれなりに意匠を凝らしていますが、海から見えない側はのっぺらぼうで素寒貧。なんか物凄く見栄っ張りだったような・・・

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一日中氷雨と雪に祟られっぱなしで、若干予定を早めて撤収。瀬戸大橋を渡るのも久しぶりでしたが、視界が効かずにさして面白いこともなく。

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岡山到着。写真はJR四国の誇る電車特急「しおかぜ」。

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 2日ともうどんばかり食べていたからというわけではありませんが、岡山駅で「まるまる穴子寿司(みよしの 950円)」を購入。岡山駅中央入り口近くにある弁当売り場も相当冷えていたようで・・・(´・ω・`)ショボーン

(このシリーズ終わり)

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2008.09.10

阿波&讃岐紀行(6)

阿波&讃岐紀行(5)から続く)

 参詣を終えて山を降ると雪は小降りになっていました。

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 金丸座(旧金毘羅大芝居)。現存する中では日本最古の芝居小屋。

 以前愛媛の内子を訪れた時に内子座を見物しましたが、内子座は大正時代の建設。金丸座は天保年間(1836年)に完成し、その後改築を受けたものの今も現役の歌舞伎専用劇場。歌舞伎には全く造詣がないので

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奈落に降りてみたり

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桟敷に上がっては見たものの

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個人的には正直あんまり有り難味がないんですが(^^; こんぴらさんの参詣客と歌舞伎のファン層は年齢的にかぶる部分が多いでしょうから、観光的にはまさに相乗効果が効いてバイバインですなぁあ・・・

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こんぴらさんの参道には有名な「中野うどん学校」を含め沢山のうどん屋が並んでいますが、そういうところを横目にいかにも地元民向けといったうどん屋に行って見ました。その名も「うどんや」。あまりにストレートすぎてぐぅの音も出ません。

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おばちゃんが2人に切り盛りしているこじんまりした店ですが、麺だけを買いに来た方もいました。

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麺が美味い讃岐うどんは生醤油かぶっかけで食べるのが好きなのですが、雪であまりにも寒かったので「かけうどん大」を注文。400円也。

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帰りはJR琴平駅を利用してみました。正面の大きな三角屋根が目立つ洋風の駅舎。

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昔はこんぴら参りの団体客で賑わったのでしょうが、今は大きな駅舎を少々もてあまし気味。

(続く)

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2008.09.09

阿波&讃岐紀行(5)

阿波&讃岐紀行(4)から続く)

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 早朝から「ことでん」に乗って琴平へ。バブル期に瓦町駅に「コトデンそごう(現在は高松天満屋)」を建ててどツボに嵌り、一度潰れかけた「ことでん」ですが、驚いたことにICカード"IruCa"を導入していました。

「ことでん」は大手私鉄から中古の電車を譲り受けた車両が数多く走っています。上写真は元京浜急行1000系。

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 1時間ほど電車に揺られ、琴平に着いた時には雨が本降りに。琴電琴平駅の背後には高灯篭が。

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 こんぴらさん門前の金倉川に架かっている鞘橋。銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、鞘橋の名は刀の鞘の様に反った形から来ているとのこと。洪水で何度も架け替えられ、現在の橋は1869年(明治2年)に阿波国鞘橋講中により寄進されたもの。普段は閉鎖され、例大祭の時のみ開放されます。

 「こんぴらさん」こと金刀比羅宮(ことひらぐう)には2度来たことがありますが、本宮が奥深いところにあるので何だかんだといつも時間切れになってしまい、参道をうろうろするだけに終わっていました。よって今回が実質的に初めての参詣です。

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 早朝かつ雨とあって参道前の商店街も人影はまばら。いつもだと呼び込みがうるさくて難儀なんですが。

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 こんぴら名物の「石段かご」も暇そうです。こんぴらさんの石段は登り口から本宮までは785段、奥社まで登ると1368段。

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 一之坂鳥居まで来てもまだまだ境外。左にある狛犬は備前焼。

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 「こんぴらふねふね・・・」がエンドレスで流れる中ようやく大門に到着しましたが、氷雨がとうとう雪に変わってしまいました。なお件の「石段かご」が運んでくれるのはここまで。本宮まで載せていってくれるわけではありません。

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 大門の脇には鼓楼。

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 大門を抜けて旭社へ向けてと伸びる桜馬場。城郭だと「なんとか曲輪」とか「なんとか丸」とか名づけそうなスペースですね。

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 「こんぴらさん」に参拝を望みながらも叶わない人々が飼い犬を代わりに参拝させる「こんぴら狗」。袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。銅像とこんぴらオヒサルとでは狗のデザインが全く異なりますが、こんぴらオヒサル狗は「ひこにゃん」に相通じるところがあるとぼけた表情が現代的で、銅像狗はちょっと昭和っぽいかなぁ・・・

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 旭社に着いた頃には大雪に。とても温暖な瀬戸内とは思えない悪天候・・・ 旭社は1837年に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったとか。

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 本宮にたどり着いた頃には雪が降り積もって足元はぐちゃぐちゃに。こんな悪天候でも朝っぱらから続々と参詣者がやってくるのはさすがこんぴらさん。本宮は桧皮葺の大社関棟造りで、御祭神は大物主神と崇徳天皇。

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本宮の左に建つ絵馬殿。こんぴらさんは海の守り神として信仰されており、現在も漁師、船員など海事関係者の崇敬を集め、絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が掲げられている他、安全祈願をした漁船、タンカーの写真なども飾られています。他の場所でこんぴらさんに奉納された巨大スクリューなんかも見かけました。

下に見える白いボートは堀江謙一氏のマーメード号。

足跡がはっきり判るくらい雪が積もってますがな・・・(´・ω・`)ショボーン

(続く)

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2008.09.04

阿波&讃岐紀行(3)

阿波&讃岐紀行(2)から続く)

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 久しぶりに徳島へやってきたはずですが「見るべきものは見た」という気分になったので、いきなり香川へ移ります。四国島内の移動には高速バスが安くて便利。JR四国はもはや高速バスの走らない小都市を結ぶことに活路を見出すしか手立てがないようです。

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 JR高松駅周辺の再開発も一段落したのでしょうか。あまりにも駅周辺が変わりすぎて、宇高連絡船が走っていた頃の高松駅の姿を思い起こすのも難しくなってしまいました。

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 JR高松駅の向かい、琴電高松築港駅裏に高松城址があります。かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできる本格的な海城でした。

現在の高松城は1587年(天正15年)に豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が88年に築城開始、90年に完成を見たものが基礎。その後生駒氏に代わって高松に入った松平頼重、松平頼常によって改修を施されています。

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二の丸から鞘橋を渡って本丸へ入る予定でしたが、高松城本丸は石垣の補修工事の真っ最中。本丸に建っていた天守は三重四階(地下一階)で四国最大級、しかも最上階がその下よりも若干大きい「南蛮造」と呼ばれる独特の形状をしていましたが、明治期に破却されてしまいました。現在数少ない写真をもとに天守復元へ向けて動きがあるようです。

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高松城には天守が残っていないため、現存の月見櫓が事実上城の顔。往時はこの櫓が海に面して船の発着を監視していたことから「着見櫓」とも呼ばれています。月見櫓には水手御門・渡櫓が連続しています。

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艮櫓も現存のものですが、残念ながら位置は大きく変わっていて、かつての太鼓櫓の上に据えつけられています。

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艮櫓をかすめるように琴電が走っています。逆に言えば電車の窓から高松城址が見える一瞬でもあります。

高松城の別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるとのこと。

(続く)

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2008.09.02

阿波&讃岐紀行(1)

先日、今年の天皇杯で四国・丸亀に行く可能性があることを紹介したばかりですが、どうも今回の丸亀行きは個人的に今一つ気乗りがしないのが正直なところ。

それはその前の週に札幌へ行き、さらに月末には大阪行きが控えているという、コスト的に「前門の虎、後門の狼」状態だというのも理由に挙げられんこともないんですが、それ以上に「丸亀は昨オフに行ったばかり」なんですわ。

っちゅーことで、何かの参考になればと思い、半年以上も前の話ながらその時の模様を逐次紹介しておきます。

もちろんこの情報が全て何の役にも立たないという可能性もあるんですが(´・ω・`)ショボーン

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といっても真っ直ぐ丸亀どころか香川県にすら入ったわけではないので、しばしお待ちを。

 暇を見つけては全国あちこち飛び回っていますが、徳島に来るのは十数年ぶり。個人的にこれほど長い間ご無沙汰にしている県は他にありません。

・J1チームがない(浦和J2時代には徳島ヴォルティスもなかった)
・ローカル私鉄がない
・著名な温泉がない
・著名な史跡がない

等々疎遠になる理由がいくつか思い当たりますが、実に久々に徳島に足を運んでみました。

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 夜行バスで徳島着。東京から徳島へは鉄道で行きにくい上にJALしか飛んでいないためか、飛行機の価格設定が強気なのが困り者。

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 徳島は地方都市には珍しく駅前が賑わっていますが、さすがに早朝で人影はまばら。歩道橋から眉山(07年の映画にもなりました)が見えますが、山頂からの景色が良いだけで特段見るべきものはなさそうなので、今回は割愛。

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 徳島城址は徳島の駅裏にあります。跨線橋からディーゼルカーの車庫が一望。国鉄時代からほとんど変化がありません。

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 徳島城址は残念ながら現存の建造物は皆無。徳島は大坂の役以降一貫して蜂須賀家が25万石の大封をもって治めていましたのでかなりの規模の城址が残っていそうなものですが、明治時代に徳島城が廃城となった後に鷲の門を除いて全建造物が破却され、唯一残った鷲の門も1945年の徳島大空襲によって焼失。現在の鷲の門は1989年9月27日に徳島市制100周年を記念して復元されたものです。

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下乗橋を渡って大手門へ。石垣の上には当然ながら本来は櫓が建っていました。

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御殿跡には現在「徳島市立博物館」が建っています。博物館の背後にある城山へ。

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東二の丸跡。3層3階の天守が建っていましたが、明治に破却されて今は何も残っていません。天守台はもともとなかったようです。また本丸ではなく二の丸に天守が建てられた理由は不明。

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本丸の周囲を固める高石垣。武骨で古風な石垣です。

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本丸にも特段何もありませんので西二の丸・三の丸を伝ってそそくさと下山。

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西三の丸は現在上水道場になっていました。城址の活用法としては珍しい例かも。

(続く)

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2008.09.01

竹田&別府~アウェー大分2008

「丸福のとり天」から続く)

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 城巡りととり天だけではもったいないのでしばし竹田の街を散策。

 岡城の麓にある広瀬神社。中央の胸像は軍神第1号「広瀬武夫」のもの。日露戦争・旅順港閉塞作戦時の戦死で有名ですが、竹田市出身とは知りませんでした。ただ亡くなってすぐ神社が出来たわけではなくて、神社が出来たのが1935年というのが時代の雰囲気を思わせるものがあります。

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こちらは隠れキリシタン洞窟礼拝堂。隠れキリシタンといえば長崎県一帯や天草が有名ですが、竹田にもその遺構が残っているのは大友時代にキリスト信仰が広まったためなのかも。

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広瀬神社からやや下った一帯には武家屋敷も。

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 店先に飾られた「姫だるま」。竹田が誇る工芸品です。

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 竹田からバスと電車を乗り継いで、旅の終わりは別府の湯。竹田は熊本空港が近いのでそこから帰京すれば楽だったのですが、予約を取る時にそこまで頭が回りませんでした(笑)。同じ大分県内とはいえ、移動も楽ではありません。

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 別府の湯はどこもかしこも熱いのが難点。従って夏に訪れるのは得策ではないのですが、温泉通の赤サポにメールして比較的ぬるいところを紹介していただきました。鉄輪の「神和苑」。海地獄の傍にあります。

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神和苑は青い湯で有名。

豊後高田や竹田は大分から遠く、しかもややマイナーな観光地とあってあからさまな赤サポは見かけませんでしたが、別府となるとどこもかしこも赤サポだらけ。

脱衣所に入るといきなり知人の赤サポが裸で寝そべっていたのには参りましたが、露天風呂にいた先客3人も話を聞くとはなしに聞いているとやはり赤サポ・・・orz

(このシリーズ終わり)

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2008.08.31

富士吉田散策

「吉田のうどん」から続く)

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富士吉田駅に降りるのは初めて。

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駅前はすぐ下り坂になってしまう関係でロータリーが非常に狭小。そのわずかなスペースを目一杯使ってバス乗り場を設けているので、長野原草津口みたいな乗換え専用駅みたいな風情。

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「上吉田駅商店街」っていったい何時の街灯やねん???

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富士吉田は駅をはさんで北側が旧商店街、南側が新興商店街という感じの造りになっていますが、車の流れが圧倒的に南側なので旧商店街は寂れる一方。

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もともとは富士山参詣客向けの宿坊が建っていた一帯も、今はその面影はほとんどなし。残っている宿坊も通りからかなり奥まったところにあるので、門前町っぽいイメージは全くありません。

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駅から30分ほどだらだら坂を登って富士吉田浅間神社に到着。参拝もさることながら、暑い最中に富士の冷たい湧き水が何よりのお目当てだったかも(笑)

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2008.08.29

丸福のとり天~アウェー大分2008

「岡城」から続く)

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 岡城は山城といえども案外奥行きがあり、朝からうろうろしているうちにすっかり腹が減ってしまいました。竹田にはとり天が美味い「丸福食堂」があると知って、早速店へ。

 美容室が同居する店舗兼住宅みたいな建物の中に丸福食堂がありました。

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 暖簾が掛かっていませんが、開いていることは判ります。

 間口が狭く、ぱっと見では入り口近くにテーブルが4卓あるだけのように見えますが、さらに奥のほうに座敷が続いている風でした。

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 店に入ったのは10時半過ぎ。朝早い時間から開店しているようで、既にから揚げ定食かなんかで一杯やっているオヤジがいたり、テイクアウトのから揚げを待つ間にうどんをすすっているオヤジがいたりして、いやはやなんともな田舎の朝の風景。店内はホークス一色で酉はポスターが一枚貼ってあるだけ。

 どちらかというとから揚げが有名な店のようですが、やはり大分に来たからにはということでとり天定食を注文。この7月20日から諸品を値上げしたとのことですが、とり天定食はわずか580円と激安。

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 から揚げで有名な店とはいっても小さな田舎町の食堂ゆえから揚げ一筋というわけにもいかず、各種定食はおろか丼物やめん類に至るまで幅広く扱っています。

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 とり天はから揚げと違って油臭さがなく、揚げ物の割にはあっさりしています。鶏肉の味を純粋に味わえるところがGood。

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 定食に付いてきたみそ汁にはなんと鶏の端肉入り。そぼろよりはふた周りはでかい鶏肉入りなので非常にお値打ち感がありました。

(続く)

 

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2008.08.26

歴博・企画展「旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-」

国立歴史民俗博物館@佐倉で開催中の企画展「旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-」に行ってきました。

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前段は江戸期の東海道を中心にお伊勢参り、京見物、江戸見物の様子を紹介したもの。私はなんてったってリアルで旧東海道を完歩しているんで、一つ一つの解説が非常にしっくり来ます。この頃は行き帰りそのものが楽しみなので、途中寄り道しまくり。しかも行きは東海道、帰りは中仙道と道を帰るのがあたりまえ(もっとも公務の場合はそんな悠長なことはできませんが)。

旅日記は後日他人が読むことを前提に書かれているのでどいつもこいつも品行方正なのが非常に惜しまれます(端的にいえば、旅籠の飯盛女がどうしたこうしたという話にはならんっちゅーこと)。

後段は鉄道開業後の旅行の変容を追ったもの。こちらはまぁ鉄的にはどうということはありませんが、旅行ガイドブックの変遷は面白かったかな。「騙されないための東京案内」みたいな旅行ガイドには笑いました。また学生が東京で下宿していると、田舎の親戚・知人がぞろぞろやってきて、下宿に寝泊りして東京観光に出かける例が多かったそうですが、今の感覚だと学生にとって迷惑そのものやな(´・ω・`)

企画展は8/31まで。要するに今週末で終わりです!!

冒頭の写真は船橋高校鉄研のNゲージ展示。鉄研っちゅーのは今も昔もあんまり代わり映えせんなぁ(・∀・)ニヤニヤ

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企画展のチケで常設展も見学できるので、そちらにも回ってみました。「歴博」は過去2回ほど来たことがありますが、全館じっくり見て回ると1日では全く足りません。従って今回はリニューアルされた「近世」だけ見たんですが、午後から行って企画展見た後の残り時間だけじゃ全然足りませんでしたわ(苦笑)。

「歴博」は収蔵品の展示ではなく「歴史学習」あるいは「研究成果の披露」に力を入れているので、解説のパネル、画像、ビデオなんかを逐一見て回ると大変! 今回は江戸期の対外関係(蘭・中・韓・アイヌ)と都市文化のコーナーだけで終わりになってしまいました。

また出かけんと(笑)

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岡城~アウェー大分2008

「府内城」から続く)

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 あんまりな試合でささくれだった心を癒しにローカル線の旅に。早朝のローカル線はいつも高校生だらけ。東九州といえばかつてはボロ列車のたまり場だったのですが、来るたびにどんどん新しい車両に入れ替わっています。

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 大分からディーゼルカーに乗って1時間ほどで豊後竹田駅到着。ここから「荒城の月」で有名な岡城へ向けて歩きます。「夏とはいえ朝は涼しい」というのは今や大嘘。それなりに気をつけないと熱射病になっちゃいますね。

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 駅から岡城の入口までは竹田高校へ向かう高校生と抜きつ抜かれつしながら川を渡り、商店街を抜け、トンネルをくぐって坂を登る等々で徒歩20分ほど。

 岡城は有料。巻物状のパンフレットって初めて見ました。新奇性は買えるんですが、畳んでポケットに突っ込めないので不便と言えば不便・・・

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大手門へと至る登り口。岡城は典型的な山城で、古くは1185年(文治元年)に大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が源義経を迎えるため築城したと伝えられ、その後南北朝時代・建武年間に大野荘志賀村南方に住む志賀貞朝が大改修して「岡城」と名づけたとのこと。

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大手門跡。岡城が現在の様式になったのは豊臣期に中川秀成が入府してから。加藤清正没後の調定のため熊本へ行く際に訪問した藤堂高虎の助言により大手門を東向きから西向きに改めたらしいのですが、どこにでも出てきますなあ、城郭コンサルタント藤堂高虎。

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 山の背を切り開いて城郭を作っているのがよく判る図です。左側の大きなスペースが西の丸。中ほどの小さな区画に本丸・二の丸・三の丸が固まっており、右手奥が御廟曲輪。

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観光ガイドでは必ずといっていいほど取り上げられる二の丸・三の丸の高石垣。草木が枯れてなくなる冬のほうがより綺麗ですね。

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本丸・二の丸・三の丸への入口を固める太鼓櫓。

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滝廉太郎像。「荒城の月」作曲者の瀧廉太郎は幼少期を竹田で過ごしており、この岡城にて曲のイメージを得たといわれています。

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岡城は大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する標高325mの台地上に築かれ、見るからに難攻不落。実際天正年間の島津氏侵攻を兵数で遥かに劣る志賀親次が見事に撃退したという史実も。

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西ノ丸御殿跡。

岡城は建造物が何も残っておらず、残るは石垣ばかりなりなんですが、それだけに妄想を膨らませるにはもってこいの、まさに名城です。

(続く)

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2008.08.25

府内城~アウェー大分2008

「だんご汁」から続く)

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試合開始までまだ時間があるので、府内城(大分城)まで足を伸ばしてみました。府内城は大分市街の中心に位置し、大分駅から徒歩15分ほど。

上写真は復元された「着到櫓(ちゃくとうやぐら)」。右奥へと続く長塀の中央部にちょこんと突き出ているのは「宗門櫓」でこれは現存のもの。

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着到櫓の斜向かいには大手門(復元)。府内城址の難儀なのはこの門のすぐ裏に「文化会館」が建っていて、城址を観光地として売り出し難いこと。

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文化会館脇を通って本丸に入ると正面に天守台。

府内城はもともと海を巧みに取り入れた平城で、本丸、西の丸、東の丸、山里丸といった曲輪が水堀で細かく仕切られていたようです。しかし現在は水堀がほとんど埋めたてられ、さらに埋め立てで海も随分遠くなってしまったので、往時の城郭の姿を想像するのはかなり難しくなっています。

江戸初期に竹中重利が4重の天守を造営しましたが、江戸中期に焼失してその後天守は再建されませんでした。

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天守台に登って周りを見渡してみたところで周囲はビルばかり。 中央の渡り廊下みたいなのは山里丸と西の丸を繋いでいた「廊下橋」で1996年に古絵図や発掘調査の成果に基づいて再建されました。

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廊下橋から見た人質櫓。これは現存。

府内城の櫓はどれも形が似ているので、日が経って後で写真を見てもどれがどの櫓なのかよー判らんようになるんですわ(つД`)

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天守台下にある大友宗麟像。現在の府内城は豊臣秀吉家臣の福原直高が慶長年間に建てたものが基礎とされるので、大友宗麟はほぼ無関係といって差し支えありません。

しかし、福原直高は徳川家康に睨まれてあえなくあぼーん。江戸期府内藩成立後竹中氏→日根野氏→松平氏と大名が交代したようですが、いかんせんいずれも全国的な知名度は皆無。そこで有力戦国大名であり、かつキリシタン大名として名高い大友宗麟に城の象徴として無理やりご登場願った次第という苦しい事情が透けて見えるような・・・

(続く)

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2008.08.20

だんご汁~アウェー大分2008

「昭和の町」(下)から続く)

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豊後高田を後に、最寄のJR宇佐駅から一路大分へ。

やって来た「ソニック」自由席はなぜか赤サポだらけ。大分空港への便が取れずに、北九州や福岡から来た方も相当数いたということなのか。あるいは単に年に一回やってくる浦和を見に来た九州在住の赤サポなのか。

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コロッケ2つで昼飯終了というのもさすがに何なんで、大分名物「だんご汁」を食べてみました。入ったのは大分駅構内の「豊後茶屋」。場所柄でしょうが、ここも赤サポだらけ。

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だんご汁定食780円也。だんご汁に加えて、ご飯、アジフライ、大根の酢の物、御新香が付いてきました。

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で、肝心のだんご汁ですが、にんじん、かぶ、ごぼう、しいたけ、もやし、里芋と具だくさんの上、幅広かつ厚みのある麺が入っています。汁は白味噌仕立て。また麺はやや固め。肉類が入っていないためか脂分がなく、いたってあっさりした味わい。けんちん汁とほうとうの中間といったところでしょうか。麺入りなので少食な方はこれだけで昼飯代わりになると思います。

 そのままだとやや甘めですが、柚子胡椒を入れると全く違った味が楽しめて2度おいしい。

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 大分駅前の地下道で見つけた大分名産案内。これは宣伝なので話半分だとしても、さっき食っただんご汁とえらい違うやん・・・(´・ω・`)ショボーン

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大分駅周辺は現在高架化工事中。駅裏の高架橋もかなり出来上がってきました。

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自動改札が入ったくらいで、他は国鉄時代からほとんど変わった様子がない大分駅の姿もこれで見納めかもしれません。

(続く)

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2008.08.18

「昭和の町」(下)~アウェー大分2008

「昭和の町」(上)から続く)

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 単に商店街を再生するだけでは集客力に限界があると考えたのか、豊後高田はかつての農業倉庫を改装してちょっとしたテーマパーク「昭和ロマン蔵」を造りました。公式サイトによると

”昭和ロマン蔵”の建物は、明治から昭和にかけて大分県きっての大金持ちといわれた”野村財閥”が昭和10年前後に米蔵として建てた旧高田農業倉庫です。
”野村財閥”は、かつて豊後高田の商店街の中心に豪壮な屋敷を構え、小作人に貸しつけていた田畑は西国東・宇佐・下毛の3郡にまたがる360町歩、小作米は1年に1万俵を誇ったといわれました。

とのこと。

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 こちらは「駄菓子屋の夢博物館」。小宮裕宣館長の収蔵品20万点のうち5万点を公開したものとのこと。もともと太宰府天満宮参道で開館していた「駄菓子屋のおもちゃ資料館」が引っ越して出来たらしいのですが、商売上の立地としては全国的に知名度のある太宰府のほうが圧倒的に上。ソロバン勘定を度外視できるほど、「昭和の町」が魅力的だったということなのでしょう。

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 ショーケースに入っているものが大半ですが、フロアに直接陳列してあるものは子供がいじって破損することもあるようでメンテナンスに苦労している様子。

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こちらは「昭和の夢町三丁目館」。昭和30年代(一部は昭和40年代)の民家、商店、教室を再現したもの。

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 朝・昼・夕・夜と移り変わる「昭和の風景」が楽しめます。軽トラックは3輪のほうが昭和っぽいような・・・

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 こちらは台所。電気炊飯器がある家に釜はないんじゃないか?という気も。

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 「昭和」を振り返るというと大抵昭和30年代が出てくるような気がしますが、あれって何故なんでしょうかね? やっぱ「三丁目の夕日」の影響がでかいんでしょうけど。

 昭和30年代ってワシ的には知識として知っているし、祖父母の家がそんな感じだったかなぁとも思いますが、リアルな経験を持っているわけじゃないのであんまり懐かしいとは思わないんですが・・・極端なことをいえば大正のレトロ調を見るのとそんなに変わらんっちゅー感じ。

 「駄菓子屋の夢博物館」に収蔵されたコレクションにはやや時代が下ったものもあって、

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|-`).。oO 伊代はまだ16だからぁ・・・

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|-`).。oO アイドル時代は今より太っていたっちゅータレントってそう滅多におらんで・・・

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|-`).。oO 秀樹、感激ぃー! (これは「昭和の夢町三丁目館」でやっていたハウス食品の特別展示)

この辺に懐かしさを感じる世代も相当するいるわけで、「昭和の町ネクスト」があっても良さそうなものと、あれこれ考えてしまう19歳の夏でした。

(続く)

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2008.08.12

「昭和の町」(上)~アウェー大分2008

もうかなり前の出来事のような気もしますが、大分戦@九石ドームに付随した記録です。

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 試合の前に「昭和の町」というコンセプトで町興しに成功した豊後高田を訪れてみました。大分空港では羽田から始発のANAやJALでやってきた大勢の赤サポが大分や別府へ向かう中、一人ぽつーんと明後日の方向へ向かうハメになり、少々恥ずかしかったです(^^; 豊後高田方面のバスの乗客はわずか7人。東京便始発の乗りがこんな感じだと存続が危ぶまれます。

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 豊後高田は国東半島の西側の付け根にあたる小都市。大分空港から大分とは正反対の方角へバスで40分ほど。もともとは国東半島随一の都市だったそうですが、鉄道(JR日豊本線)から外れたこともあって高度成長期以降は寂れる一方。

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 そのままどこにでもある「シャッター通り」と化してしまいそうになったところ、早々と寂れたために昔の商店街の姿がほぼそのまま残っている(公式サイトによると「多くの店舗は、昭和30年代以前の建物の外壁だけをリフォームしていたため、外壁をはずすだけで建築当時の建物がよみがえる。」とのこと)のを逆手にとって「昭和の町」として商店街の再生に乗り出して、それが見事に当たったとのこと。

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たとえば元々こんな感じだった薬屋は

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こんな感じに。多くの店で改修前の写真を掲げていて、確かに改修前はどこにでもある潰れそうな田舎の商店街風だったことが良く判ります。ただ改修後の姿は店によって温度差があって

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いかにも観光地っぽい小奇麗な店構えになってしまったところもあれば

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いたって自然体というか地元客風向けの店構えに留めているところもあります。

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「一店一宝」と称して昭和を感じさせる自慢のアイテムを店先に置いている店も。

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学校給食風のメニューを取り揃えている店もありますが、そもそも給食って美味いという記憶がない上に、千円出して食うものかどうか・・・

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「昭和の値段そのまんま」を売り物にしている店もありますが、あんまり安いのも「ほんまに大丈夫なんかいな?」とちょっと引いてしまいますねぇ・・・

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商店街を小一時間ぶらぶらして、ちょこちょこっとお土産を買って帰る典型的な通過型の観光地ですから、中途半端な食事処よりも屋台のほうが重宝します。上写真のお肉屋さんが店先に屋台を出していて、これが結構繁盛していました。カレーコロッケ&メンチコロッケ、共に110円也。

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右の赤レンガは元銀行。街が一度寂れたことを反映しているのか、単に駐車場を設けやすい郊外に移転したのかはわかりませんが、商店街内の銀行は悉く店を畳んでいるのが妙に印象に残りました。

地元商店の車なのか、観光客の車なのか判りませんが、ぶらぶら歩きを楽しむところの割には結構車の往来が激しい(川越@埼玉もそんな感じですね)のは困りましたが、一度訪れる価値はあるかと思います。

(続く)

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2008.08.06

新発田城~アウェー新潟L2008

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「東横」で腹を膨らませた後は電車に乗って新発田(しばた)を城址中心に散策してみました。上写真は新発田駅。新発田は新潟市の東にある旧城下町です。

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 駅から新発田城址までは徒歩30分弱。新発田城は典型的な平城で、本丸に至るまで起伏もなんにもありません。

 上杉氏の会津転封に伴い、1597年溝口秀勝が新発田6万石に入封したのが現在残る新発田城の始まりで、城が完全な形となったのは三代藩主・溝口宣直の時代(1654年頃)とされています。

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 新発田城の誇る三階櫓。明治初頭に撮影された古写真などを資料として考証・設計され、伝統的手法によって2004年に復元されたもので、新発田城の実質的な天守でした。三階櫓の最大の特徴は屋根の棟が丁字型で、屋根に三匹の鯱が載っていること。

 城壁に海鼠壁(建物の腰まわり部分に平らな瓦を張り詰め、そこに漆喰で蒲鉾形の目地をつけた壁で耐水性が高い)が用いられているのは雪国らしい工夫です。

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二の丸隅櫓。もともと鉄砲櫓が建っていた位置に移築されたもので重要文化財。

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 表門。これも現存のもので重要文化財。

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 辰巳櫓も三階櫓と同じ2004年に復元されたもの。

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こちらは内部が公開されています。訪れた日は6月というのにカンカン照り。櫓内には当然ながら冷房なんてありませんから案内人はちょっと辛そうでした。

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 新発田城址散策の上で最大の難点は隣が陸上自衛隊の駐屯地であること。上写真は辰巳櫓前から駐屯地を眺めたものです。まぁ城址が役所や警察署、学校等の公的施設になっているところは数多あり、元々軍事施設だった城に自衛隊が入るのはある意味自然といえば自然な流れなんですが、国内の敵から攻められることを想定した城と国外から攻められることを想定した自衛隊とでは同じ防衛施設とはいえ求められるスペックは全然違うでしょうし、現在も城址をそのまま駐屯地として活用している例は案外少ないかも。

 自衛隊の敷地に入り込んだ所に建っている三階櫓は、その復元にあたって「非公開」との条件がついたとのこと。やむを得ない話です。

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 表門の向かいには「堀部安兵衛」の像が建っています。堀部安兵衛といっても「忠臣蔵」を知らないと何のこっちゃ?でしょうが、堀部安兵衛は新発田の出身。

 なお幕末に長岡藩を中心とする奥羽越列藩同盟が薩長軍と戦っている最中に、新発田藩が突如薩長側に寝返って同盟軍壊滅の切っ掛けを作ったという史実があるため、新発田は周辺地域とは微妙な関係だとか・・・ もっとも新発田側に言わせるともともと無理やり同盟軍側に引きずり込まれていただけだということらしいのですが・・・

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2008.07.23

続長浜散策~アウェー神戸2008(2)

「長浜散策」から続く)

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あまり知られていないことかもしれませんが、長浜は門前町としても顔も持っています。黒壁スクエアの奥にある大通寺がその中心。大通寺の前にはそれなりの表参道があって、軽食やお土産等の売店が建ち並ぶ、いかにも門前町な風情を醸し出しています。

和洋折衷的というよりかなり洋風的な黒壁スクエアとは対照的な風景がすぐ近くで展開されているっちゅーのは妙といえば妙ですが、面白いといえば面白い。

大通寺はもともと長浜城址に建っていたそうですが、1652年(慶安4年)に現在の地に移ってきたとのこと。

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大通寺はキツネに縁があるようです。調べてみると「お花」というキツネが大通寺に住んでいて、それにまつわる逸話があるとのこと。

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でもこのモニュメントはちょっと不気味だわなぁ・・・

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お城あり、ショッピングストリートあり、御坊さんありと観光スポットに事欠かない長浜ですが、そんなところでも人気のない「シャッター通り」があります。どうしてこの一角だけ取り残されたのかは判りませんが、黒壁スクエアというアイデアがなかったら長浜の商店街全体がこうなっていた可能性もあったわけで・・・

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黒壁スクエアから戻って、長浜駅近くの「長浜鉄道スクエア」にも立ち寄ってみました。

大宮の「鉄道博物館」と比べると甚だ小ぶりですが、日本の鉄道の黎明期に京都→敦賀の連絡が重視され、その行程で琵琶湖水運との絡みで長浜駅が重要な位置付けを持っていたことや、昭和期以降の一連の北陸線の輸送力強化の過程(トンネル敷設による距離短縮とか交流電化とか)等をパネルや展示物で要領よく解説してあります。

上写真は「旧長浜駅舎」で現存する駅舎では最古のもの。

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京都~敦賀の連絡に際しては東海道線が出来るまで敦賀~長浜が鉄道、長浜~大津が琵琶湖の汽船、大津~京都が再び鉄道というルートになっていました。そのため長浜は水陸の連接点として重視されました。旧長浜駅舎内ではその当時の模様を再現しています。

上写真は1等・2等待合室。この時代はおろか、戦前を通じて鉄道には1等、2等と3等の間には厳然とした格差があります。こういうのを見ると、今のはやり言葉の「格差社会」のどこが格差なのかさっぱり判らんという気になりますな。

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旧長浜駅舎に隣接して「北陸線電化記念館」が建っています。上写真は交流用の電気機関車「ED70形」。隣にD51(通称「デゴイチ」)蒸気機関車がありました。交流電化がどうしたこうしたというマニア話は全部割愛します。

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 朝から歩き通し。旅の終わりは「長浜浪漫ビール」で締めることに。

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まだ日が高い時間なので店内はガラガラ。一組だけいた客は入れ替わりに帰ってしまいました。早速「長浜エール」を注文。グラスはスリムグラス(290ml)、パイングラス(380ml)、ラージグラス(550ml)を選べましたがパイングラスをチョイス。

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 こちらは期間限定の「ショコラエール」。公式サイトによると「高温で焙煎したモルトが、ビターショコレートのような香りを醸しだしています。風味豊かな、ドライな黒ビールです!」とのこと。

 まぁハムとなんこつ揚げだけでこれだけ飲めばちょっと飲みすぎですなぁ(^^;

(このシリーズ終わり)

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2008.07.17

長浜散策~アウェー神戸2008(2)

「安土城」から続く)

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 安土散策の後は琵琶湖沿いに北上して長浜へ。長浜は羽柴秀吉ゆかりの城下町であると同時に、江戸期に入ってからは北国街道の要衝として発展した面白い歴史を持った街です。

 上写真は長浜駅。橋上駅舎にさらに切妻屋根の駅舎を重ねたような珍妙な格好をしていますが、上に乗っかっているのは旧長浜駅を模したもの。

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「秀吉公と石田三成公・出会いの像」

お茶を三杯がどうのこうのという逸話に基づいて建てられたもの。石田三成は長浜生まれ。お茶を出しているのがまだ佐吉と呼ばれていた頃の石田三成で、秀吉が長浜城主だった頃に小姓に召抱えられたそうです。像はもともと駅前にあったような記憶がありますが、駅周辺の再開発に伴って妙なところにポツンと建っている感じに。

像の後ろに建っているのは「平和堂」。滋賀県の至るところにあるスーパーです。

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 線路の西側、琵琶湖湖畔に長浜城が建っていますが、あれはかつての姿を再現したものでもなんでもないパチもん天守なので今回は省略。線路の東側を中心に散策してみました。

 上写真2枚は旧北国街道。

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 旧北国街道沿いに並ぶ商家を代表する「安藤家屋敷」。長浜城主の秀吉は町衆の中から「十人衆」を選び長浜の自治を委ねていましたが、安藤家は代々九郎右衛門を名乗り、十人衆から選ばれる三年寄の一家として江戸期を通じて活躍したとのこと。屋敷は1905年(明治38年)建設。

 理由は判然としませんが、08年3月末をもって観光向けの開放を中止したようです。

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 長浜観光の中心といえば「黒壁スクエア」。旧北国街道と大手門通りの交差点付近を中心に黒漆喰で固めた和風建築が30軒ほど軒を連ねています。

 チェコの国旗が揺れているのが黒壁一号館「黒壁ガラス館」。旧国立第百三十銀行長浜支店を利用したもので黒壁スクエアの象徴的存在。黒壁スクエアはガラスショップ、工房等の一大集積地として賑わっています。

 といっても有名観光地になったせいか、ガラス関係の店・工房だけでなく、実にいろんな店があるんですなぁ・・・・

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 こちらは英国アンティーク。一見してそうは見えないんですが、ここも黒壁26号館に数えられています。調べてみると黒壁n号館には焼肉屋やそば屋、さらにかまぼこ屋まであるみたいです。

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 広場に変な塔が建っていますが、これは巨大万華鏡。 上のほうに万華鏡の種仕掛けとなるガラス板が見えます。

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 こちらはフィギュアミュージアム。この辺まで来るともはや何でもありっちゅー感じですね。

(続く)

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2008.07.14

安土城~アウェー神戸2008(2)

「安土散策」から続く)

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 安土に出かけたのは「信長まつり」の見学が本旨じゃないんで、安土城址にも足を運びます。

 安土城址は信長が城郭内に建立した総見寺が管理する格好になっていて、本来は入山料500円が必要ですが、この日は「信長まつり」ということで無料でした。

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山頂へと続く大手道。幅広かつ直線的に伸びる大手道は安土城の最大の特徴で、一般的な城郭であれば敵が侵入しにくいように折れ曲がりを設けそうなところ。

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 安土山に築かれた安土城は「平山城」に分類されますが、平らなところ、すなわち曲輪のようなところはあまりありません。従って実質的には山城っぽくて、いくら天守が巨大だったとはいえ、天下に号令を発する拠点としてはいかにも手狭。

上写真は大手道の脇にある「伝羽柴秀吉邸主殿」の跡。その向かいには「伝前田利家邸」がありました。

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山頂へ近づくにつれて大手道も若干折れ曲がってきましたが、見通しが良いのは相変わらず。

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 安土城には石垣の不足を補うために石仏が利用されています。上写真はその一つの「仏足石」。御釈迦さまの足跡を表現したもので古代インドでは仏像に先立って崇拝の対象になっていたとのこと。他に大手道の石段に転用された石仏もあって、そのままの姿で復元展示されていました。

なお比叡山や石山本願寺と激しく対立したため「仏敵」のイメージが強い信長ですが、石仏の転用は大和郡山城を始め、大坂城や姫路城などでも見られ、さほど珍しいことでもないようです。

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 織田信長公本廟は参拝できず、遠望するのみ。

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 ようやく天守台跡に到着。5重7階(地上6階、地下1階)の巨大天守がここに聳え立っていたわけですが、礎石が見えているのはその地下部分。本来の天守台(一階相当部分)はこの2倍半近くあるそうですが、石垣上部の崩落が激しいためにその全貌が再現できないとのこと。

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 山頂からは琵琶湖が一望・・・と言いたいところですが、見えているのは「西の湖」。琵琶湖につながる内湖の一つです。かつての安土城は三方をこうした内湖に囲まれ、湖に突き出した半島のような格好だったとのことですが、現在は西の湖を残して周辺部は干拓が進んで田んぼだらけになってしまいました。

 先日紹介したお堀巡りの船は西の湖あたりにも顔を出すみたいです。

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天正年間に安土城築城に伴って織田信長によって城郭内に建立された総見寺。織田信長は近隣の社寺から多くの建物を移築・建立したようで、今も安土城址内に三重塔とニ王門が残っています。重文に指定されている三重塔は1454年(享徳3年)建立で甲賀長寿寺より移築されたものとのこと。1854年(安政元年)の大火で多くの建物が焼失してしまったのは誠に残念です。

(続く)

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2008.07.08

安土散策~アウェー神戸2008(2)

「第一旭」から続く)

神戸戦の翌日は遠く滋賀へ足を伸ばしてみました。前日は篠山、次の日は滋賀ってとても神戸戦のついでとは思えない行程です(^^;

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6月2日は織田信長の命日。信長ゆかりの安土町では毎年その日にあわせて「あづち信長まつり」を開催しており、安土を訪れた6/1はたまたまその日にぶち当たっていました。事前に情報を仕入れ、狙っていったわけじゃないんですが、長年あちこち旅行していると祭礼にぶち当たることがままあります。

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安土駅前に建つ珍妙な建物。中途半端に高いところに登ったところで何が見えるというわけでもなかろうに・・・

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駅前でレンタサイクルを借りていざ出陣!

鮒ずしは滋賀の名産ですが、屋台で出てくるっちゅーのはかなりの意外感。

安土城址の麓の広場が祭りの会場。数々の屋台に加え、ちびっこ相撲やのど自慢大会などイベントも盛りだくさん。

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まぁ祭りといっても安土町及びその周辺の人々による手作りイベントというか村祭りみたいなもので、町の人々が武者行列に扮して町を練り歩くのがメインイベント。従って遠方からわざわざ見学に来るようなものではありません。そうはいってもこれだけの人が集まる祭りの「ネタ」を持っているというのは素晴らしいことです。

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東海道線を挟んで祭り会場とは反対側に、これまた珍妙な形の公共施設が立ち並んでいます。「文芸の郷」と総称される博物館、体育館、文化ホール及び観光施設「信長の館」といった類のものですが、今となっては「財政破綻」という単語を連想させる建物群にしか見えず・・・

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その一角にあったレストランで昼食。上写真は「戦国焼定食」。人件費を切り詰め、水もセルフにしてオバハン3人で奮戦していましたが、時ならぬ客が押し寄せててんてこ舞い。安土観光の弱点の一つは食事処が少ないこと。この日は屋台がアホほど建っていますので、そこで済ませれば問題ないのでしょうが。

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なお、安土城址近くには駐車スペースが全くないので、実行委員会は「文芸の郷」に車を停めて、そこから会場まで歩いてもらう(1km強あるかと思いますが・・・)ことを想定していたようです。しかし、そこの駐車場が早々と一杯になったためか、あるいは「そんなに歩いてられるか!」っちゅーことなのか、会場周辺の農道という農道が路駐で溢れかえっておりました。一応電車で来る人にも配慮して安土駅~会場~駐車場間にシャトルバスを出してはいたようですが・・・

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意外なことに安土にもお堀巡りが。安土は山崎の戦いの後に城が焼失して以降、城下町として再建されることなく今日に至っていますから、お堀巡りが面白いかどうか・・・

(続く)

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2008.07.03

篠山散策~アウェー神戸2008(2)

「篠山城」から続く)

篠山といえば「ぼたん鍋」が有名ですが、昼間から鍋と言うのも妙ですし、そもそも既に蒸し暑い時期だったので、城巡りの前に蕎麦屋に立ち寄ってみました。

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 入ったのは「ひいらぎや」。皿そばが有名な出石に本店があり、篠山で出石風の皿そばを出す店です。

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 やや黒味がかった田舎蕎麦風。冷水で固めで、しかも冷水でしっかり締めてあります。関西のそば屋はは甘ったるい出汁を出すところがありますが、ここは良くも悪くもごく一般的で甘くもなければ辛くもない。5皿には不釣合いなほど大きな徳利で出てきましたが、皿の追加が前提なのでしょうか? 

  刻みねぎ、わさび、岩のり、とろろと薬味を代えて楽しむって限りなく老人趣味ですねw蕎麦湯は柚子入り。おまけに蕎麦かりんとうが付いてきました。

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 篠山城の西から南にかけては武家屋敷が広がっています。表札が掛かっているので、今も人が住んでいる模様。 残念ながら1830年(天保元年)の火災で武家屋敷の大部分が焼失してしまい、現存の武家屋敷の大部分は天保の火災の直後に建てられたものとのこと。

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 現存武家屋敷のうち「安間家」が資料館として開放されています。

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 城の南東隅、河原町一帯は切妻造妻入の主屋が並ぶ旧商家町。篠山は実にコンパクトな城下町で、しかも明治以降さしたる発展を見なかったために武家町と商家町が共に江戸期の面影を残しているという点で面白いところなんですが、河原町の商家町は観光客の姿が見えず、寂しい感じ。 篠山城や武家屋敷とは若干離れていることもありますが、そもそも観光スポットとして積極的に売り出していないようにも見受けられます。

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もともと篠山口から山陰本線の園部まで鉄道を作る予定があって、1944年に途中の福住まで開通。しかし大赤字で72年に早々と廃止。その後篠山口~園部を国鉄バス(現西日本JRバス)が結んでいましたが、それも2002年に廃止された模様。河原町商店街の西入り口近くに記念碑が建っていました。

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こちらは城の北側、現在の篠山の中心街「二階町」界隈。地元向けの商店が建ち並ぶ他、有名な「黒大豆」を中心とする地元物産、物品の販売ゾーンとして機能しており、あいにくの天気にも関わらず観光客の姿もちらほら。

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 二階町近くに建つ「大正ロマン館」。旧篠山町役場で、現在は観光案内所兼レストラン・売店・無料休憩所として活用されています。屋根の上に突き出しているのは火の見櫓。

(続く)

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2008.07.02

篠山城~アウェー神戸2008(2)

 今年のナビスコ神戸戦@ホムスタはナイトゲーム。有り余る時間を利用して丹波篠山へ行って見ました。神戸とはかなり方角違いなのは否めませんがw  昨年訪れた龍野もそうですが、全国的に見ればメジャーとは言いがたいけれども、それなりに歴史の沈殿を持った地元民向けの観光地があちこちにある関西の奥深さって結構好き。

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伊丹空港からモノレール→阪急→JRと乗り継いで篠山の玄関口「篠山口」到着。

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篠山の中心部はここからさらにバスを乗り継いだ先にあります。篠山5万石の城下町であり丹波地方の中心都市であるとはいえ、鉄道が通らなかったのが災いしてか街はほとんど発展せず、平成の大合併後も人口5万足らず。逆に発展しなかったのが幸いして街には城下町の面影が残り、「黒豆」などの丹波特産品販売とあいまってちょっとした観光地になっています。

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篠山城に残っているのは石垣のみ。笹山とよばれる小丘陵に築かれたので「平山城」に分類されるようです。

篠山城は関ヶ原合戦後に徳川氏が対豊臣戦を意識して、山陰道の要衝に諸国大名を動員して作らせたもの。昨年訪れた伊賀上野城と同じような建築経緯を持っています。縄張りは藤堂高虎の手によるもので、これも上野城と同じ。

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篠山城は実戦本位でとにかく建設が急がれ、天守台こそ築かれたものの一度も天守が建つことはありませんでした。

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城内にあった城郭は明治期に大方破却され、唯一残っていた大書院も1944年に失火で焼失。しかし幸いにも2000年に大書院が復元され、篠山城に彩りを添えています。

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復元された大書院は内部を気前良く公開しています。

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篠山城は内堀から突出した「馬出し」の遺構がはっきりと残っていることで有名ですが、こういうのは上空から見てナンボのもので、地表面からだとイマイチですなぁ・・・

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※右上の突出部が「馬出し」。城入り口の防御施設の一種です。

(続く)

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2008.06.25

大名古屋温泉~アウェー名古屋2008

スガキヤから続く)

JR関西線、あるいは近鉄名古屋線からよく見えるため、その筋の方には高名な「大名古屋温泉」に行ってきました。

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温泉は車窓からはよく見えますが駅から近いとは言いがたく、JR・地下鉄八田駅から徒歩20分。近鉄八田駅からだとさらに+1分でしょうか。線路の北側に出て、高架沿いに西へ向かって歩くだけなので迷うことはありません。

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JRを近鉄がまたぎ越すあたりで右側に「大名古屋温泉」が見えてきます。

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 大昔の役場、あるいは公共施設っぽい、コンクリだらけの素寒貧とした外観。「高熱天然温泉」が自慢です。

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 側面には名古屋圏のお約束のマーク。

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 入浴料850円。タオルくらい付いてくるのかと思いましたが、館内着どころかタオルもなし。かなり強気の価格設定。

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 風呂はとにかく馬鹿でかいのが特徴。しかもかなり深めなので、空いているのをいいことに歩行浴を楽しむ人もチラホラ。風呂の端を仕切って、ジェット風呂・バイブラ風呂・うたせ湯等を設けています。小さいながら露天風呂もあり、雨上がりの好天を受けて小さな露店風呂のほうが混雑する按配でした。

 湯は単純温泉。しかも加熱・循環ろ過・塩素入りなので、温泉というより巨大なスーパー銭湯といったほうが限りなく実態に近いような・・・ なお「大名古屋温泉」には宿泊施設もありますが、どういう客層がここに泊まるのでしょうか?

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 食堂というよりは大きな休憩室風ですが、残念ながらカラオケが鳴り響いていました。

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無料の休憩スペースもありますが、その横はゲームコーナー・・・・

駅からちょっと歩きますし、少々割高ですし、あんまりくつろげそうでもないので、まぁネタとして一回行けば十分でしょう。

P.S.

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 地下鉄で名古屋へ向かいましたが、派手なラッピングに謎のキャラクターが・・・

(この回・了)

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2008.06.20

スガキヤ~アウェー名古屋2008

大垣城から続く)

今回の名古屋行の食事情は実に貧しく、「味噌カツ」も「味噌煮込み」も「ひつまぶし」もありません。ただ名古屋在住者には欠かせないであろう、チープな店を訪ねて見ました。

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大垣駅ビル内にあった「スガキヤ」。駅ビル5Fに100均とかと一緒に入居しているにも関わらず、なぜかフードコートみたいな店構え。これだけで十分チープなんですが、メニューを見てびっくり。ラーメンわずか290円。特製ラーメンでも420円。

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しかも一見ラーメンがメインのように見えるにも関わらず、ソフトクリーム等甘味物にも力を入れる不思議な品揃え。ラーメンが男子学生向け、甘味が女子学生向けなんでしょうが、若年層におもっきしすり寄ったスガキヤのスタンスが見て取れます。

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出てきました。特製はチャーシューが増える上に半熟玉子が載っています。豚骨ベースだと言い切ってしまうのは躊躇われるほどコクのないスープが泣かせます。cheap,cheaper,cheapest という単語が脳裏を駆け巡るような味わい。まぁこの価格帯のラーメンに難癖をつけるほうがどうかしているので以下自粛。

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スガキヤで何が驚いたって、巨大なスプーン。なんとスプーンの先にフォーク状の突起物があります。先割れスプーンというよりはフォーク付きスプーンというべき代物。大阪人がお好み焼きをコテだけで食べるように、名古屋人はスガキヤでは箸を使わずにこの珍妙なスプーンで食べるのでしょうか???

またこの手の激安店には珍しいことに割り箸ではなく、普通の箸を出しているのも特筆すべき事項でしょう。

(続く)

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2008.06.19

大垣城~アウェー名古屋2008

養老鉄道から続く)

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大垣駅は「ムーンライトながら」(というか、個人的には未だに大垣夜行のほうがしっくり来ますが・・・)の乗り換えでお世話になった方も多いかと思いますが、まさに駆け足での乗換えだけで、駅の外に出たことがない方も少なくないかと。

改札口近くに立ち食いそば屋があったはずですが、いつのまにかなくなっていました。

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近隣の岐阜城と比べると知名度に劣るのは否めませんが、大垣にもお城があります。戦前まで4層4階の天守が残っていましたが、残念ながら戦災で焼失。戦後鉄筋コンクリートで再建されて今日に至っています。駅から天守まで歩いて10分ほど。周囲は完全に市街地になってしまい、東門からいきなり本丸に突入する格好になります。

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 東門は旧柳口門を移設したもの。その脇を固める多門櫓。

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大垣城の本丸は狭く、しかも木立が多いために天守の全容を眺められる場所が極めて限られています。たぶんどの写真も同じアングルになっているかと。

四重四階という天守は死に通じる「四」を嫌う日本人の感覚からすれば極めて珍しいもの。

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窓にはサッシが・・・ 大垣城は明治になっても破却を免れましたが、残念ながら戦災で焼失。今の天守は1959年に外観復元されたもの。

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こちらは西門。

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西門の傍には戸田氏鉄の銅像。戸田氏は氏鉄以来大垣10万石を長きにわたって治めましたが、いかんせん戦国期から関が原に至るまで表舞台に出てこない人物なので、地元以外では知名度皆無かと・・・

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天守に登ってみました。

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入場料わずか100円ですが、最近展示物をリニューアルしたのか、パネル展示中心ながら100円の割には破格に充実した内容。大垣城は関が原合戦の前哨戦の舞台にもなっているので、それに関連した資料も目立ちます。

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外堀をなす水門川。

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大垣駅前で目立つ松尾芭蕉。大垣は「奥の細道」結びの地ですが、「奥の細道」は観光材料的に見れば北陸路に入って以降はあってないようなものなので、結びの地はさらに苦しい・・・

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大垣の名物「水まんじゅう」。大垣は地下水が豊富であちこちに自噴井戸があり、「水の都」と呼ばれているとのこと。

(続く)

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2008.06.18

養老鉄道試乗~アウェー名古屋2008

ナビスコ名古屋戦はナイターだったので、有り余る時間を活用すべく「養老鉄道」を試乗してきました。

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養老鉄道は岐阜県西部の揖斐からほぼ揖斐川に沿って三重県の桑名へ至るローカル私鉄。途中の大垣で事実上路線が南北に分かれています。上写真は大垣駅。

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もともとは近鉄養老線でしたが、近鉄の赤字解消策の一環として2007年10月に分社されました。但し分社化にあたっては、養老鉄道が路線の運営を行う一方、線路・車両等の設備は引き続き近鉄が保有し、その保守整備も近鉄が行うという形を取っています。

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休日に発売されるフリーきっぷ(1000円)。分社化された鉄道は運賃が大幅に値上げされるので、こうしたフリーきっぷは重宝します。

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まずは北半分の通称「揖斐線」から。

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やって来た電車には「徳山ダム」のサボが。

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都市郊外とも農村とも言いがたい、農・住・商・工入り混じった一帯を北上。車窓はつまらないとしか言いようがありませんが、揖斐駅着。

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駅前には「徳山ダム」のバスが待機していました。大雨が降ったばかりですが、養老鉄道の集客が熱心なのか、ちょうどバス1台くらいの観光客が電車から乗り換えて行きました。

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大垣に戻って、今度は南半分の通称「養老線」へ。

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養老鉄道にはなんと自転車が持ち込めます。自転車が場所を取るせいか、2両でも十分そうな時間帯でも3両編成で運行していました。

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養老線は養老山地の山裾、やや小高いところを走るため結構視界が開け、まぁ何もないなりに車窓を楽しめました。

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終点桑名着。養老鉄道は独立したホームも改札口も持っておらず、もともと近鉄名古屋線と共用していたホームを塀で仕切り、その間に中間改札口を設けています。従って駅の外へ出るにはいったん近鉄のホームを通る必要があります。

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ジャスコが潰れて以降、桑名駅前のビルは長らく野ざらしになっていましたが、何時の間にか再開発に成功して面目を施したようです。

(続く)

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2008.06.17

神戸「肉めし」~アウェー神戸2008

明石「玉子焼」から続く)

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 一昨年は神戸戦なし。昨年の神戸戦は新大阪駅発着だったので、久しぶりに新神戸駅を利用しましたが、いつの間にか改札口周辺及びコンコースが大きく改装されていました。東海道新幹線主要各駅はJR東海になって早々と改装されたのと対照的に、JR西日本の山陽新幹線は国鉄時代の面影を色濃く留めているところが多かったのですが、新神戸はかつての素寒貧とした姿から一新。神戸空港開港に対するJRの対抗策だったのかもしれませんが、大都市であると同時に観光地でもある神戸の玄関口として恥ずかしくない姿になりました。

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 ただ以前は改札口前に待ち合わせ場所の目印として大きな桶(大きすぎて樽にしか見えませんが・・・)が置かれていましたが、あれはどうなったのでしょう???(上写真は01年5月12日撮影 - 内舘が和多田にスローインをぶつけられた日です)

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この日は三宮で一泊して朝一番の「のぞみ」でトンボ帰り。朝飯には新神戸「肉めし」(1,000円 淡路屋)をチョイス。神戸の駅弁はバラエティーに富んでいますが、「肉めし」はその中の老舗中です。

 駅弁の上蓋裏書によると「”肉めし”は牛肉のもも肉を香辛料に7時間漬け込み、特製のタレを含ませて柔らかく焼き上げた駅弁」とのこと。

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 しゃぶしゃぶ用のように極薄というか、よくここまで薄くきったなぁと妙なところに感心してしまう牛肉が2枚、ドライカレーの上に載っています。脂身が少なく、また薄味に仕込まれているせいもあってドライカレーと合わせて食べてもしつこさを感じさせません。

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 具にクルミの甘煮みたいなのがついています。薄味にまとめた肉をぶち壊しにしている感も。ビールのつまみにはいいのでしょうが、おかずの種類が少ないので全体としてつまみに向いているとも思えず・・・ アスパラガスの胡麻和えの他にもう一品野菜を付けたほうがご飯としてはバランスが良かったかも。

(この回終了)

言うまでもなく2008年は5月末にもう一度神戸へ行くハメになりました。その様子は後日披露します。請うご期待。

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2008.06.11

玉子焼~アウェー神戸2008

(明石城から続く)

 明石といえば玉子焼(明石焼)。

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 GWで観光客が多いせいか、駅近くにある「お好み焼き道場」や「魚の棚」商店街にある各店には行列が出来ていました。

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 「こなもん」って並んでまで食べるもんじゃないと思うので、淡路島へのフェリー乗り場あたりまで歩いて「たこちゅう」という店に入りました。テーブルが3卓ほどしかない小さな店で、オヤジが一人で切り盛り。それでも地元客っぽい方がパラパラやってきます。テイクアウトを頼んでいる人も。

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 メニューは玉子焼と飲み物しかありません。550円というのは魚の棚商店街の各店よりは50円安い模様。店に一人少なくとも玉子焼一人前注文してとの張り紙が出ています。

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 外見はたこ焼きとそっくりですが、中がどろっとしているのと、あっさりしたタレにつけて食べるのが大きな違い。柔らかめのたこ焼きは「ふわふわ」といった形容になるかと思いますが、玉子焼はそれよりはるかに水分の多い「どろっ」とした感じで、これは好き嫌いがあると思います。初夏らしい暑い日だったので玉子焼に併せてビールを頼みましたが、このどろっと感はビールに合いません。

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 またソースあり、海苔あり、紅生姜ありとたこ焼の味が非常にこってりとしているのに対し、玉子焼は非常に淡白。玉子焼の生地のには微妙にしか味がついていない上に、つけだれは関西風のうどんの出汁に似たもの。従って食べなれないとなかなかその旨さは判らないかもしれませんし、店による違いは相当その道を極めないと見極められないでしょう。15個もあって最後のほうは飽きてしまいました。

 明石の玉子焼を食べたのはこれで2度目ですが、数ある「こなもん」の中では個人的には苦手な部類に入ることを再確認したような感じに。

(続く)

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2008.06.06

お好み焼館「ウッドエッグ」@広島

広島にオタフクソースが広島風お好み焼きの歴史や作り方を紹介するお好み焼館「ウッドエッグ」というのを近日オープンするとの記事が先日の日経に小さく出ていました。

おそらく現在J2で奮闘中の広島が来年J1に復帰した折には是非行かないと!と思ってオタフクソースの公式サイトから「ウッドエッグ」を調べて見たのですが、

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所在地: 〒733-0833 広島県広島市西区商工センター7丁目4-5
開館時間: 平日9:00~17:00
休館日: 土日祝日、年末年始、お盆
※休館の詳細は直接お問合せください。

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使えねー!!!!(´・ω・`)ショボーン

23日から一般公開らしいので、後日もう一回オヒサル見てみますが・・・

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明石城~アウェー神戸2008

 「おおさか東線」試乗を終えた後は、神戸を通り過ぎて明石へ。

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 JR明石駅のホームから明石城の隅櫓がはっきり見えます。何度となく山陽本線を行き来しているはずですが、いつも須磨~西明石あたりは明石海峡を眺めてしまうので、明石の山側にお城が見えるとは恥ずかしながら全く知りませんでした(^^;

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 駅と明石城の間には大きなお堀が。

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 明石城址一帯は全て公園になっています。城へは三の丸から突入する格好。ちょこんと見えているのは巽櫓。

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 向かって左側は坤(ひつじさる)櫓。右側の巽櫓共々阪神大震災で大きな被害を受けましたが99年に修復完了。あわせて両櫓を繋ぐ土塀が復元され、瀬戸内の陽光を浴びて白塗りの壁が輝きを増したようです。

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 明石城は天守台こそあれ最初から天守はなく、四隅に櫓が建っているだけでしたが、そのうちの南側の2つが残っています。本丸~二の丸の南斜面は高石垣で固められて実に見事。

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 明石海峡を睥睨するような格好で建つ明石城。写真では判りにくいですが、市街地の向こうに明石海峡大橋が見えます。明石城はどこからどう見ても海を意識した造りですが、山側には大きな池があって、お堀代わりになっています。

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 2つの櫓は週替わりで無料開放されています。もっとも2階には登れず、見学といっても大したものはありません。阪神大震災からの復旧の様子等が展示されていました。

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 坤櫓の影に隠れるような形で造られた天守台。規模は熊本城と大差がない巨大なものですが、この上に天守が築かれることは一度も無く、それどころか妙な位置関係から判断してそもそも天守を築く予定すらなかったという説もあります。

(続く)

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2008.06.05

おおさか東線~アウェー神戸2008

 GWの最中に開催された神戸戦。

 ナイトゲームの前のひと時を神戸観光や神戸牛堪能に当てた方も多いかと思いますが、私はそれとは何の関係もなく、大阪に出来た新線「おおさか東線」の試乗に出掛けてきました。おおさか東線は大阪の東部、八尾、東大阪、大阪市東部の一帯を南北に走る路線です。

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 南側の起点「久宝寺駅」。こんなことでもなければ一生訪れることはなかったであろう駅ですが、周囲は大規模再開発の真っ最中。久宝寺というよりは竜華といったほうがピンと来るところ。こげ茶色の旧式電気機関車が竜華から阪和線へゴロゴロ出てきたのを思い出しました。再開発が行われているのは旧国鉄竜華操車場跡地。

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 朝は大阪中心部へ直通する便も設定されているようですが、普段は久宝寺~放出間をいったり来たり。JR西日本で201系を見ると甚だ違和感があります。

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 おおさか東線は住・工・商が渾然一体としたいかにも大阪の下町然とした街並みを高架で突っ切るだけ。見晴らしが利くものの、車窓に見どころ皆無。

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 終点放出着。大阪の下町らしいこじんまりした駅と勝手に想像していたのですが、あにはからんや実にご立派な駅でした。周辺の再開発に伴ってリニューアルされたのかもしれません。

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 でもなんだかよく判らない屋号のお好み焼き店があったり

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 コテコテの大衆食堂があったりするのはやっぱり下町。

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 なお放出は「はなてん」と読みます。難読駅と言われることもありますが、何の必然性もなく艶っぽいCMを流すことで知られる「ハナテン中古車センター」があるがために、関西出身者なら誰でもその読み方を知っています。

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 5月になって値上げされた「王将」の餃子。今日もおいしゅうございました。放出の「王将」はなんと24時間営業。しかも駅前店には珍しく2Fまである大規模店でした。

(続く)

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2008.06.04

桐生のソースカツ丼

 桐生まで来てうどんだけでは若干物足りないので、ついでに桐生で売り出し中のソースカツ丼にも手を伸ばして見ました。

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 訪れたのは「藤屋食堂」。

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 桐生高校が近くにあるので、学生向けのオンボロな食堂をイメージしていたのですが、あにはからんやご立派なお食事処。車で次々にお客がやってきて行列を作っていました。「ソースカツ丼」を売り物にしていますが、定食類を手広く扱っているせいか客層は実に幅広で、むしろ年配客のほうが多いくらい。注文もソースカツ丼ばかりというわけではありません。

 待つこと20分ほどでようやく客席に案内。「座敷席」とのことでしたが、どう見ても普段は自宅として利用していると思われる一室。客の多い週末・祝日等だけ客席扱いしているのでしょう。当然ながらソースカツ丼(750円)を注文。

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 ソースカツ丼定食とは謳っていないので丼だけだと思っていたのですが、味噌汁と漬物が付いてきました。

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 小さめのカツが4つ。やや固めでこれといった特徴はありません。カツの下にはキャベツ等野菜は一切なく、いきなりご飯。ソースはごくあっさり。物足りずにテーブルに置いてあるソースをかける人がいるかもしれませんが、あんまりソースをかけるとカツの味が判らなくなる上にくどくなるので、ここでは自粛。見た目あっさりに仕上げている割にはソースが心持ち脂っぽいのが気になりました。またわっぱ状の丼は上げ底で、見た目ほどご飯の量は多くありません。

 これで750円というのはリーゾナブルだとは思いますが、並んでまで食べる価値があるかとなるとちょっと疑問という出来かと思います。

なお川野屋本店の爺さんの弁では、「桐生のソースカツ丼は食わせるところが少ない上に、個々の店が頑張っているだけで一体となって売り込んでいないから、うどんと比べるとまだまだ」とのこと。確かに的を射た評価だと思います。

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2008.05.23

伊那小旅(3・了)

伊那小旅(2)から続く)

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 久しぶりに伊那谷に来たということで飯田からの帰りに駒ヶ根に立ち寄ってみました。お目当てはいうまでもなく駒ヶ根名物ソースかつ丼。

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 町興しの材料としてソースかつ丼を売り込んでいるところがいくつかありますが、アピールの積極度においては駒ヶ根はダントツで、街のいたるところに「ソースかつ丼」の幟がはためいています。まぁ食堂はともかく、ソースかつ丼にはあまり関係なさそうな飲み屋にも件の幟があるので、店によって相当当たりはずれがあるのもまた自明な気もしますが・・・

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 ネットで調べたところ、駒ヶ根駅に近い店では「玉龍飯店」というところがよさげだったので早速突入。なんか中華料理屋みたいな屋号ですが、店の外観はカツ丼専門店の趣。

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 店内はカウンターに小上がりテーブルが3卓ほど。妙に横長というか、奥行きの深い店でした。まだ一杯ひっかけに来る客が来るには早い時間帯なので店内は閑散。店員はオッサン、オバハンの二名のみ。お約束のソースかつ丼(1,000円)を注文。カツを逐一揚げているのかかなり待たされました。

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 でかい! 蓋が閉まらんくらいでかい! こんなにでかかったけ? 量が売り物の店を外したつもりだったんですが・・・

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 カツはかなり肉厚。しかも固め。こんなカツが丼物の上に7つ、8つもゴロゴロしています。せっせとカツを食わないとごはんが足りなくなるほど。カツの下にはやや薄めながら千切キャベツが敷かれています。ソースはさらっとしていますが、やや甘めで香辛料はあまり効いていません。残念ながら「でかい!」こと以外これといった特色はないような気も。

 これまで前橋、会津若松、福井、駒ヶ根とソースカツ丼を食べ比べましたが、ワシ的にはダントツで福井「ヨーロッパ軒」がお気に入り。あっさり、かつスパイシーな味わいがGood! 次いで薄肉を重ねたカツの歯ごたえが楽しい前橋「西洋亭」。量が多いというのは個人的には加点材料にならないので、会津若松や駒ヶ根は劣後しました。

 なおカツ丼には白菜の漬物と味噌汁が付いてきます。どちらもかなり塩が効いていました。

(了)

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2008.05.22

伊那小旅(2)

伊那小旅(1)から続く)

 飯田はわずか2万石程度のささやかなものではありますが、一応城下町。堀氏の治世が長かったのですが、終始財政難に苦しんだようです。

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 飯田城の遺構はほとんど残っていませんが、天竜川の支流である松川と野底川にはさまれた河岸段丘の先端部分に築かれたため見晴らしが良く、城址にはホテル「三宜亭本館」が建っています。

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 三宜亭は温泉掘削に成功。外来入浴に力を入れているのか、専用の入り口が。

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 タオルも何も付いてこないのに800円とは相当強気の価格設定です。但し、外来入浴客向けに専用のロッカーを用意してあるのは良い気配り。

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 ここは浴室からの展望が売り物。飯田市街、天竜川、河岸段丘を挟んで南アルプスを一望。小さい露天風呂もありますが、内風呂からでも十分に楽しめます。この日は受付から一段降りたところが男湯でしたから、女湯のほうがさらに眺望が良かったことでしょう。

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 若干郊外に歩を進めて元善光寺へ。長野の善光寺とは当然ながら関係があって、元善光寺のサイトによると

推古天皇十年に信州麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光卿が難波の堀から一光三尊の御本尊様をおむかえしたのが元善光寺の起元で、その後皇極天皇元年にその御本尊様は現在の長野市へ遷座され、できたお寺が善光卿の名をとって「善光寺」と名付けられました。それから飯田の方の当山は勅命によって、木彫りで同じ御尊像が残され「元善光寺」と呼ばれるようになりました

とのこと。

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 まぁ由緒はご立派なものですが、「何々するな!」とか「何々はいくらだ!」といった類の張り紙が至るところにあって誠に興ざめ。「品がない」という言葉が相応しいお寺さんでした。

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 門前にはささやかながらもお土産屋が並んでいます。

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 でも山高帽の男性に着物で三味線の女性ってどんなカップルやねん???

(続く)

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2008.05.21

伊那小旅(1)

 かれこれ3月の話になりますが、長野県の南端、伊那谷の飯田へ行ってきました。

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 飯田へは新宿から高速バスで4時間。長野県内とはいえ南部は名古屋のほうが近いくらいで、首都圏から日帰りで行くには些かしんどい距離です(笑)。

 今回の旅行の最大の目玉は07年3月25日にオープンしたばかりの「川本喜三郎人形美術館」。言うまでもなく古くはNHK人形劇「三国志」で有名な川本喜三郎作成の人形を展示した美術館です。大都市から遠い飯田の地にこのような美術館があるのは飯田が人形劇の街だから。

 近所のラーメン屋で割引券をもらって300円也。

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 建物は大きいのですが美術館自体はさほどのものではなく、2Fの映像ゾーンと3Fの展示ゾーンのみ。1Fは蕎麦屋を兼ねたお土産屋や観光案内所。

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 残念ながら展示物は全て撮影禁止で、撮影できるのは入り口にある関羽のみ。

 今回の展示は平家物語と三国志、それに南総里見八犬伝の人形が中心。定期的に展示物を入れ替えているようで、この翌月からは三国志が中心になるとのことでした。

 映像ゾーンでは人形アニメ(人形をちょっとずつ動かしてコマ撮りするもの)を上映していましたが、たまたまやっていたのは老婆の子殺しという「今昔物語」の一話に題材を採った「鬼」というもの。外国での上映を念頭に英語の字幕入りで、アニメもいかにも外国人が好きそうな日本色を前面に出した作風でしたが、なにせ題材が題材なので内容は至って凄惨で、観光客はどん引きですね(笑)。

(つづく)

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2008.05.20

横浜・グリーンライン試乗

G大阪戦の敗戦&その後の乱闘騒ぎでむしゃくしゃしたので、横浜に出来たばかりの地下鉄に乗りに行きました。日暮里舎人ライナーと同日に開業したにも関わらず、同ライナーと違って関東ローカルのテレビニュースですらほとんど報じられなかった横浜市営地下鉄「グリーンライン」(日吉~中山)です。

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 試乗は中山駅から。日産スタジアムに行く時以外横浜線に乗ることなんてまずありません。中山駅で降りるのは無論初めて。南口は小さいながらも駅ビルがあり、周囲は意外にも田園都市線沿線や港北ニュータウン辺りとは全く違い、割と下町っぽい商店街が広がっていました。狭い駅前にバスがウロウロする辺り、綱島駅に似ているような感じも。神奈中が顔を出しているので、横浜と言えども中心部から遠く外れているのを実感。

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 地下鉄の乗り場は北口。こちらは新しく開けたところなのでしょうか、整然とはしているものの、南口と比べると人影はまばら。

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駅構内は売店もなければポスター類もほとんどなく、随分素寒貧とした表情。良くも悪くもゆとりありまくりです。

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 横浜市地下鉄は元々あったブルーライン(1号線・3号線)の総延長が非常に長い(40km強)ので、13kmしかないグリーンラインの料金図は右端にちょこっと描かれているだけ。

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 他の路線とは交わらない地下鉄駅の割には非常に深いのは困り者。

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 中山駅に停車中の10000形。大江戸線などと同様の小型のリニアモーター駆動式です。

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 新しい路線なのでもちろんホームドア完備。

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 横浜市北部の郊外を走り、さほど需要が高いとは思えないんですが、大江戸線のような小断面にすることもなく、中は至って普通の作り。

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 LCD式の旅客案内表示器付き。わずか4両編成っちゅーのが泣かせます。まだ多少の人口増加が見込めるのでしょうが、過剰投資は否めないじゃ・・・ 多摩モノレールが似たような立地ですが、モノレールみたいな中程度の輸送機関で十分なんじゃないかなぁ・・・

  なお車内には神奈川新聞のニュースが流れているLCDもありました。

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 中山駅の次の川和町駅との間で地上に顔を出します。起伏の多い地形のせいともいえますが、単にこの間に車両基地を設けた結果なのかも。グリーンラインはこの後、ブルーラインと並走するセンター南~センター北間でも地上に顔を出します。

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 終点日吉着。こちらもなーんにもありません。

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 地下鉄の改札口の目の前に東急の改札口があって、乗り換えは至極便利。あんまり便利なのでつい直ぐに東急に乗ってしまいましたが、 よく考えたら日吉駅ホームが半地下化されてから一度もこの駅に降りたことがないはず。ちょっとちい散歩しておけば良かったと後悔するもあとの祭りでした(^^;

むしゃくしゃして乗った。今は反省している。

P.S.

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 中山駅から徒歩3分ほどの「壱國家」で昼飯。全くそそらない、郊外店らしいど派手な外観でドン引きです。

 家系には珍しく「塩」がありましたが、ここはオーソドックスに「しょうゆ」を注文。らーめん(中)で700円也。麺は堅めを指定。

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 まぁ可もなく不可もなくでしたが、うずら玉子が入っているのは珍しいですね。

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2008.05.15

日暮里舎人ライナー

 3月末に開業したばかりの「日暮里舎人ライナー」に遅まきながら乗車してきました。

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 ライナーの終点近くの舎人へは川口からバスが頻発しています。

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 首の皮一枚で東京都な舎人団地。

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 ライナーの終点「見沼代親水公園駅」へは舎人団地から徒歩10分足らず。都バスと国際興業バスが同居している姿はいかにも城北。

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 比較的財政が豊かな東京都とはいえ、財政問題で開業が延び延びになった経緯を反映してか、駅舎は誠に素っ気無い出来。

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 車窓は川口と似たような住宅と工場が渾然一体とした延々と続くだけであまり面白みがありません。川口が誇る(笑)エルザタワーが良く見えます。

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 沿線唯一の観光地である西新井薬師大師にでも寄ろうと「西新井薬師大師西駅」で途中下車。前後に「西」が着くので「日本一くどい駅」と言ってもいいかも。「西・福西・山西・西野」がいた往年の磐田と良い勝負。

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 西新井薬師大師は駅から近いと思ったのですが、環七沿いに徒歩20分くらいかかります。

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 ようやくたどり着いたと思ったら本堂は改修工事の真っ最中。

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 そのためお坊さんの御祓いもテントで。これじゃ有り難味も何にもないような・・・

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 川を渡るとようやく実質的な東京都に入った気分。

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 終点日暮里着。出来たばかりなのに思ったよりも揺れるなぁというのが正直な感想でした。

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2008.05.08

山陽路(10・了)

山陽路(9)から続く

 備中高梁は小さいながらも城下町。5~6万石の小藩ですがなぜか改易や転封が相次いで目まぐるしく城主が交代。またそれ以前の戦国期も城主が安定しなかったのですが、近代以降それほど街が発展しなかったのが幸いしてか、城下町の面影がはっきりと残っています。

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 政務は山のてっぺんにある城ではなく、麓の「御根小屋」で執っていたのですが、現在その跡は高校になってしまいました。高校なのに武家屋敷風の門構え。

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 旧折井家。代々板倉家に仕え、軍役を掌る物頭格。約200石程度の家柄とのこと。

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 板倉家では屋敷の規模を5段階に分け、家格と職務内容に応じて分け与えていたとのこと。折井家は二番屋敷に相当。

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 屋敷にはマネキンを置いてライブ感覚を演出しているのですが、どう見ても欧米人風のマネキンを置くのかいかがなものかと・・・ 

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 こちらは旧埴原(はいばら)家。120~150石取りの近習役・番頭役。

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 武家町から線路を渡って高梁川へ向かって降りた一帯には商人町が広がっています。そのうちの一つ旧池上邸が商家資料館として保存・公開されています。元々は享保年間創業の小間物屋だったのですが、高梁川の水路の船主や両替商で財を成し、さらに明治期に醤油の製造販売を始めたとのこと。従って商家資料館といっても館内は醤油製造に関する展示が主を占めています。

 建物は天保の大火災後に建築されたもの。

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 備中高梁の良いところは、この池上邸だけではく、それに連続する本町の商店街が一体となって「古い町並み風」で家屋を統一しているところ。当然ながら新築・改築には何かと制約がかかり、かつコストもかかるのでしょうが、観光客を引き寄せるにはこうした取り組みが必須。津山で残念な例を目にしたばかりだっただけに、より好ましく思いました。

(了)

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2008.04.23

山陽路(9)

山陽路(8)から続く

 現存12天守の中では日本一の高所(標高430m)にあり、日本三大山城の一つに数えられる備中松山城。

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 観光シーズンの土日祝には城周辺への自家用車の乗り入れが規制され、代わりに麓からシャトルバスが出ているのですが、冬はシャトルバスが運行されておらず、やむなくタクシーで城へ向かいました。備中高梁駅から駐車場まで10分弱。もっとも城まで直接車で入れるわけではなく、駐車場から10分ほど急坂を登らなければいけません。

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 ようやく石垣が見えてきました。

 備中松山城は明治の廃城令を受けてそのまま打ち捨てられていた(あまりにも山奥にあるので地元住民にも忘れられていたとか)ところ、地元研究者が再評価。昭和初期になって住民の手によって解体修理され、さらに平成になって改修を行って現在に至っています。

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 大手門。備中松山城は石垣のみならず、石垣を支える岩盤自体に崩壊の恐れがあるとのことで高梁市が京大と共同で監視システムを設置したとのこと。

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 三の丸へと続く土塀。一部は現存で重要文化財に指定されています。

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 三の丸から見た風景。山城なので城郭も三の丸・二の丸・本丸と単純な構成ではなく、曲輪が幾重もの層を成しています。

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 二の丸。やっと天守が見えてきました。

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 本丸への入り口。正面に見えるのは五の平櫓。天守は現存ですが、本丸の櫓、門、土塀は平成になって復元されたものがほとんどです。

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 ついに天守に突入します。二重二階の現存最小の天守。一見三重にも見えますが、左に張り出している部分は本来は八の平櫓へと続く廊下の一部。八の平櫓が現存しないので仮入り口として利用されています。

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 天守の裏へ回ってみると、天守同様、現存の二重櫓が。

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 二の丸へ降りて、搦手へ回ってみました。後曲輪から見た天守・二重櫓。

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 日が傾いてくると山城は冷えます。車で来た道を引き返しても面白くないので本来の自然歩道で山を駆け下りてみましたが・・・落ち葉がうずたかく積もっていて滑りやすく、危うくスリップ転倒しそうになること2回。短絡しているはずですが、結局車道を歩いたほうが速かったかも。

(続く)

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2008.04.22

山陽路(8)

山陽路(7)から続く

 岡山を代表する駅弁といえば「祭ずし」(みよしの 950円)。

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 やたら派手なパッケージ。

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 桃を模った容器

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 寿司飯の上に錦糸卵を敷き詰め、ママカリ・さわら・えび・あなご・しゃこ・たこ・も貝等々瀬戸内の幸を散りばめています。「も貝」というのはちょっと耳慣れませんが、これが海外産の怪しげな貝ではなくて岡山西部笠岡地区の特産品とのこと。

 なお「祭ずし」の名はパッケージに記された解説によると、備前の喰い祭例といってちらし寿司を作ってお客さまに振舞う事がお祭りの一番の楽しみだったことに由来するとのこと。なんでも池田光政が出した倹約令の影響でお祭りのお御輿やお囃子が廃止されてしまい、その反動でちらし寿司が派手になったとか。

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 特急「やくも」で備中高梁へ向かいます。四半世紀前に登場した車両(381系)がまだまだ頑張っています。

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 昔は2重になったガラス窓の間にブラインドがあって、レバーをくるくると回してブラインドを巻き上げる凝った仕組みになっていました。もうそんなことを覚えている人も少ないでしょうが(苦笑)、回転レバーを撤去した跡の蓋が往時を思い起こさせます。

(続く)

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