2009.12.22

島根散策(3)~割子そば

島根散策(2)から続く)

 出雲旅行の楽しみの一つが蕎麦。出雲は西日本随一の蕎麦処です。

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 最初に訪れたのは「神代そば」。もともと街中にあったはずですが、いつの間にか移転。しかも小泉八雲記念館のすぐ近くという観光客にとって至極便利なところに移転していました。

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昔の「神代そば」はこんな感じ。

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 有名店ですが、訪れたのが平日だったので昼餉時でも店内は6割くらいの客入り。この立地だと地元の方が来づらいので平日の客入りは良くないかもしれません。割子そばを注文。蕎麦が地元産か北海道産かで値段が違うようで、後者のほうが割安。でもせっかくなんで地元産を選びました。900円也。

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 割子そばはどの店でも3枚がデフォルト。これだとちょっと物足りないので最初から1、2枚追加している人も少なくありません。隣でお坊さんの一行が割子そばを食べていましたが、追加しまくり。仏の道で食欲に走るのはいかがなものかとw

 割子に直接つゆを入れて食べるのが割子そばの流儀。薬味は海苔、削り節、ネギと少々寂しげ。オバハンが「つゆは濃いのでちょっとずつかけて下さい」とのたまうので、その教えに従って慎重に試食。確かにつゆは少々濃い目。ただ塩辛いというよりは醤油の味がちょっと強く出ているというか、普通の醤油にはない酸味みたいなものが出ている気がしました。

 蕎麦は相当の歯ごたえ。固いというよりは強靭といった形容のほうがぴったりきます。ごわごわとした食感共々私は大好きですが、万人受けしないかもしれません。

 一通り食べ終えた後は蕎麦湯が楽しみなんですが、蕎麦湯はなんと湯のみに一杯だけ。もっとも席でほんやりしていたら、蕎麦湯のお代わりを勧められたので実害はないんですが・・・

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 割子3枚だけではさすがにもの足りないので、松江でもう一軒立ち寄ってみました。往訪したのは松江の繁華街に近い「上田そば店」。

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 こちらは明らかに地元の方ご用達の立地、店構えですが、やはりそれなりに有名店なのか、芸能人の色紙が多数飾られています。但し先客は地元民風のオヤジばかり、

 割子そば(720円)。危うく間違って「親子そば」を注文されそうになりましたが、この蒸し暑いのにそんなもん頼まんって!

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 こちらは蕎麦、つゆとも際立った特徴はありません。まぁ可もなく不可もなくという感じ。 薬味は海苔、削り節、ネギに大根おろし。しかも薬味の量が多め。1枚追加するのが前提なのかもしれません。

 ただ地元向けの店のためか禁煙ではなく、しかも運悪く隣の客がタバコを吸い出したので評価は大きく下がりました。

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2009.12.21

島根散策(2)~松江逍遥

島根散策(1)から続く)

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松江城を一通り見て回った後は、お約束ですが城の北側の観光名所「塩見縄手」を散策。

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塩見縄手は松江城北側のお堀沿いにある、明々庵から小泉八雲旧居までの約500メートルの通り。江戸時代には中老格の藩士の屋敷が並んでいたところ。

塩見縄手の地名は、かつて通りの中ほどにあった松江藩中老で町奉行の塩見小兵衛の屋敷に由来。

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塩見縄手をぷらぷら歩いていると、時折遊覧船がやってきます。これも松江風情の代表格。

現存ないし復元天守の周りにお堀が残っているところはいくつもありますが、お堀に遊覧船を運行しているところはそんなに多くありません。お堀を取り巻く街が美しさを保っているゆえ、こういう遊覧船がなりたつんでしょうけど、市街地ゆえお堀自体はそんなにきれいじゃないんだよなぁ・・・

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城下町松江は宍道湖と中海を結ぶ大橋川を境に「橋北」「橋南」の2つに分かれています。松江城をはじめとする観光地は橋北に集中する一方、新しい商業施設は専ら橋南に建っていて相対的に橋北は衰退気味。このあたりはソウルに似た感じでもあり。

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松江といえば京都・金沢と並ぶ和菓子処。和菓子で有名なのは「不昧(ふまい)公」の号で知られる7代藩主松平治郷の茶道楽に由来するもの。

その凄まじい茶道楽ゆえ、せっかく家老が立て直しつつあった松江藩の財政は再び傾いてしまったわけですが、松江が京都・金沢と比べて格段に小さい街であるにも関わらず今日和菓子処として一大ブランドをなしていることを考えると、不昧公の茶道楽は200年の時を経て実を結んでいるともいえ・・・

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2009.12.17

島根散策(1)~松江城

羽田 8:15 (JAL1663 MD-90) 9:40 出雲空港
出雲空港 9:50 (一畑バス) 10:26 松江しんじ湖温泉

島根県ってJリーグ参入の動きもなければ、天皇杯の試合会場になるような気配もない、どこからどう見ても「サッカー不毛の地」。従って試合観戦ついでに観光する機会はまずないので、赤サポにとって非常に縁遠いところかもしれません。

でもサッカーこそなけれ、お城あり、出雲大社あり、温泉あり、そして世界遺産ありと名所には事欠かず、出雲そばを筆頭に美味いものも盛りだくさん! っちゅーわけでもないのですが、空路ちょこっと島根へ行ってまいりました。

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「松江しんじ湖」駅から市役所、県警、県庁と官庁街を抜けて松江城に到着。

松江城は堀尾吉晴が1600年に松江藩を起こした際に末次城のあった亀田山に築城を開始し、1611年完成。

松江城は明治になって城内の建物は天守を除きすべて取り壊され、天守もあやうく米100俵で売却されるところを有志の保存運動で救われ、山陰で唯一往時の姿のまま残る天守として今日に至っています。

正面に見えるのが南櫓。これは2000年に復元されたもの。

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南櫓の奥に中櫓が見えます。

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大手木戸門跡から馬溜へ。二の丸隅には太鼓櫓。中櫓共々2001年復元。

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二の丸から本丸へ登ると、すぐに5層6階の堂々たる天守が見えてきます。二層大入り母屋の上に、3階の櫓乗せた「望楼式天守」。そして正面の天守南側に付櫓。付櫓が入口になっています。

板張りを多用しているためか城全体が黒っぽく、質実剛健・実質本位という印象。

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天守最上階から。宍道湖が見えます。

宍道湖で思い出したけど、松江はちょっと前にNHKの朝ドラ「だんだん」で舞台になったところ。成長するにつれて伸び悩み感著しいマナ・カナがとうとうあのドラマで致命傷を負ってしまったような気がしてなりませんが・・・

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2009.11.26

あすなろ食堂@白河

戊辰戦地を行く(下)から続く)

白河城を巡った後は白河名物のラーメン屋巡り。空洞化の結果なのか、原因なのかは判りませんが、有名ラーメン店の多くは駅から離れた郊外にあります。

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往訪した「あすなろ食堂」は白河駅から徒歩15分ほど。白河旭高校の近所にある小さな店です。名称・外観通りラーメン屋ではなく、ライス・麺類を手広く扱う食堂で、いかにも高校生向けの「ジャンボオムライス」が自慢の様子。

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昼飯時を外していったのに外で家族連れが順番待ちをしていましたが、なるほど店内は満員。日曜日のせいか高校生の姿はなく、近在の老若男女を幅広く集めているようでした。店内はテーブルが3卓に小上がり。2Fもあります。田舎には珍しく全席禁煙。

相席をお願いして早速ラーメン(550円)を注文。やはり高校生向けなのか、なんとかセットというメニューがやたら目立ちます。ラーメン+カツ丼という剛の者もいましたが、それは極端にしてもラーメンに何か一品をつけている客が多いようです。

店員が少ないためか、食堂にしては珍しく水がセルフ。もっとも店員の手が空いた時はテーブルで待っている客に麦茶を配ってくれました。

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やや幅広の平打ち縮れ麺。つるつるもちもちっとした食感で、しかもやや硬めの仕上がりのため食べ応えがあります。スープは見た目どおりのあっさり醤油味。醤油の味がやや強めに出た非常に古典的なスープですが、麺の邪魔をしないところが嬉しい感じ。最近はWスープだの、なんとかパクリ系だのラーメンの進化が激しいというか、続々と新機軸が打ち出されていますが、こういう古典的なスープは、一昔前に流行ったものより却って新鮮で、好ましく感じます。

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具で特徴的なのはインゲン豆。さらにチャーシューも安価なラーメンの割にはそこそこ厚みがあって、しかも脂身が少ない、これまたあっさり風味。あとはメンマとナルト。

昼飯時間帯の最後尾だったようで、その後客で出る一方で後続がなく、店内はたちまち閑散としてしまいました。

白河 15:00 (2140M クモハE721-6) 15:27 黒磯
黒磯 15:35 (1574M サハ211-3056) 16:25 宇都宮
宇都宮 16:36 (3540M サロE321-1009) 18:00 赤羽

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2009.11.24

戊辰戦地を行く(下)~白河城

戊辰戦地を行く(上)から続く)

二本松 11:22 (1138M クハ718-28) 11:49 郡山
郡山 12:05 (2136M クハ700-1508) 12:43 白河

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白河は「白河の関」に代表されるように古くから奥州の玄関口として知られ、江戸時代には東北の外様大名の抑えとして重要視されて白河藩10万石強の城下町として栄えた街ですが、来るたびに駅前がどんどん寂れている様子。

鉄道駅の中心が新幹線の止まる新白河駅に移ったのに加え、(地方都市はどこでもそうですが)道路沿いに郊外店がボコボコ出来たことによるダブルパンチで白河駅前は劇的に空洞化。原宿駅にも似た三角屋根が目立つ瀟洒な駅舎も今となってはどこか寂しげ。

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白河城(白河小峰城)はそんなうらぶれた駅前商店街とは白河駅を挟んで真反対の小高い丘に建っています。駅ホームからもはっきりと白河城が見えます。

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白河城は1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされ、丹羽長重が城郭の大改築に着手して1632年に完成。幕末には戊辰戦争で激しい攻防の舞台となり、1868年5月1日大半を焼失し落城。

1991年に三重櫓が、1994年に前御門が復元されて現在に至っています。

まずは二の丸から坂を登って前御門へ。

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前御門を潜ると本丸御殿跡。

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さらに階段を登って三重櫓へ。三重三階の層塔型。「櫓」を名乗ってはいますが、どこからどう見ても実質的な天守です。武家諸法度の公布後に建ったため「天守」を名乗れなかったのでしょう。

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三重櫓の内部見学は嬉しいことに無料。三重櫓は本格的な木造復元によるもの。掛川城共々古資料に基づいて極力正確に木造で復元する先駆けとなりました。

なお復元にあたって近隣の杉の老木を利用したところ、木材には戊辰戦争当時の弾痕が数多く認められたとのこと。

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わずかに残ったお堀と、その前面を固める高石垣も見所。

なお白河藩は「寛政の改革」で有名な松平定信を出したことで知られていますが、江戸期を通じて譜代大名がころころと入れ替わったようで、松平氏の治世が長かったわけでもなんでもないんですなぁ・・・

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2009.11.17

戊辰戦地を行く(上)~二本松城

だいぶ前の話になりますが、18きっぷを利用して福島県南部に点在する城を巡ってきました。いずれも戊辰戦争の戦地として知られているところです。

浦和 5:29 (521M モハE230-1013) 6:52 宇都宮
宇都宮 6:57 (1527M クモハ211-3024) 7:47 黒磯
黒磯 7:52 (2127M クモハ701-1018) 9:01 郡山
郡山 9:30 (1133M クモハE721-19) 9:53 二本松

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川口から鈍行を乗り継いで二本松まで5時間弱。東北本線は景色が単調なためか、東海道を鈍行で旅するよりも長く感じます。列車の間隔もスカスカで、しかもやっとこさやって来た電車も車両が短くて往々にして混んでいるっちゅーのも難儀なところ。

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二本松駅近くからいきなり登り坂になり、登り口に大手門跡がありました。このまま坂を登れば城跡に着くと思ったのですがそうではなく、いったん丘陵を登り降りした後、城跡へはもう一度坂を登ることになります。すなわちこの丘陵は城の外壁の役割を担っているわけで、丘陵と城跡に囲まれた市街地には「郭内」という地名が残っています。

二本松城は標高345mの白旗が峰に築かれていますが、「三の丸」などがある山麓部と、本丸がある山頂部にと分かれています。別名「霞ヶ城」。

本丸のほうが圧倒的に歴史が古く、室町中期に畠山満泰によって築かれたのが始まり。その後蒲生氏郷が入府して城域を拡大。一方山麓部は江戸期になって丹羽光重が二本松藩に入って整備したもの。

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公園入り口に立つ「二本松少年隊」像。会津の白虎隊と比べると甚だマイナーですが、戊辰戦争時に12歳から17歳の少年兵62名が二本松藩内各地に出陣。少年隊といっても"Wake Up Desire!"とかとは何の関係もありません。

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箕輪門。戊辰戦争でいったん灰燼に帰したのですが、1982年に復元。

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蒲生氏郷の手による大石垣。蒲生氏郷は伊勢松阪から会津へ移ったはずですが、その頃は二本松あたりも会津領だったんですなぁ・・・

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本丸の石垣。平成の世に入ってから(1993~95年)復元されたものなので、映画のセットのようにも見えます・・・

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天守台。前述のように二本松城は本丸のある山頂部のほうが歴史が古いのですが、復元の結果本丸のほうが新しく見えるのは皮肉というか何というか・・・

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天守台の東西に櫓が建っていたようです。

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二本松といえば「菊人形」が有名。個人的には菊人形といえば「ひらかたパーク」なんですが・・・

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二本松は十万石の城下町だったのですが、江戸期には何にもなかった福島や郡山にどういうわけかぶっこ抜かれて今はただの田舎町に。もともとはそこそこの城下町だった名残は和菓子屋さんが軒を連ねているくらいでしょうか。

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2009.11.16

伊那小旅(3・了)~ローメン「うしお」

伊那小旅(2)から続く)

高遠 16:45 (JR関東バス)  17:05 伊那通町

ひと風呂浴びた後は伊那市街へ戻って、今後はこれまたローメンで有名な「うしお」を往訪。

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夕方の営業が始まってまだ10分ちょっとしか経っていないはずですが、店内は驚いたことに小上がりを除いて8割がた埋まっていました。その後も続々と客がやってきましたが、後で予約が入っているようでアウト。

客層は観光客が2組いた以外は全員地元客。店の雰囲気といい、客層といい、なんだかかなり煮詰まった居酒屋風で、夜は一見さんは入りにくいかもしれません。店内の雰囲気以上にマトンの臭気が店内にこもりまくってちょっと息苦しい(笑) 換気の悪いジンギスカン屋ってこんな感じなんでしょうか?

ローメンを注文しようとメニューを見たら、並は530円と「萬里」と比べるとかなり安く、たぶん事実上小盛りなんだろうと思って大盛(610円)を注文。大盛でも萬里より安い。

 店内はL字型カウンターが7席ほどと4人掛けテーブルが5卓。さらに小上がりにテーブルが数卓。厨房ではオヤジが一人と若衆が2,3人。

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「うしお」のローメンは「萬里」とは対照的にスープが一切ない焼きそば風。ちょっと食べてみたら味がほとんどしないので不審に思ったのですが、ソースタレが皿の底に溜まっているんですな。従って麺と具とソースをまぜまぜ、まぜまぜ。

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 麺は並太で、ごわごわした食感は「萬里」と同じ。蒸し麺なので「富士宮焼きそば」と味わいはやや似ています。

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 ソースダレがしっかりしているので、特に何もかけなくても全然構わないのですが、味わいを変えるために途中で一味をかけてみました。店では正統な食べ方としてにんにくや酢、邪道な食べ方としてカレー粉やマヨネーズも推奨していました。

 値段が安いのはマトンやキャベツの量が少ないんゆえなんですな・・・特にマトンの質・量は萬里よりかなり劣っています。従って大盛にすると麺ばかり食っている印象・・・ 量的には並で十分でした。 またかなり脂っぽいのは否めません。

 焼きそば風のほうが断然美味いと思いましたが、「マトン入り焼きそば」と「焼きそば風ローメン」とは本質的に何が違うのかと言われると困るかも・・・

伊那市 18:25 (京王バス)  21:35 新宿

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2009.11.13

伊那小旅(2)~高遠城

伊那小旅(1)から続く)

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ローメンを食べた後の腹こなしを兼ねて、近くの高遠城まで足を伸ばしてみました。伊那市駅から高遠までJRバスで30分弱ほどかかりますが、腹ごなしをかねるからには歩いて参ります。

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大正時代に伊那から高遠へ鉄道を敷設する計画があったそうですが、完成を見ずに頓挫。今はJRバス関東が伊那~高遠を結んでいますが、地元のバス会社(伊那バス)ではなくJRバスが走ることになった経緯は不明。

さらにバスの起点である伊那市はJR東海の管轄ですが、走っているバスはJRバス関東だというのも少々不可解(こちらはバスが高遠を抜けて茅野まで走っていた頃の名残なんでしょうが)。

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伊那市から高遠へと向かう道はほぼ平坦なんですが、高遠につく直前でさほど大きくもない川が深い渓谷をなしていました(こういうのを伊那谷名物の「田切」って言うんでしたっけ?)。この渓谷も高遠城の防御ラインの一つなんでしょう。

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高遠は城下町といってもわずか3万石強の小藩。従って高遠城は江戸期のそれよりもむしろ、信濃進出の拠点あるいは対織田・徳川勢力への拠点として武田氏に重要視されたことのほうが有名かもしれません。

といっても天守どころか、櫓のような構造物が残っておらず、石垣が部分的に残るだけで、見所といえば郭を区切る空掘がメイン。従って城址見学といってもビジュアル的にはかなりさびしいものがあります。丘陵上にあるので見晴らしはまずまずですが・・・

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進徳館。最後の藩主内藤頼直が三の丸の家老屋敷を改築して1860年に創設した藩校。これが高遠城内に残る数少ない藩政時代の建造物です。

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高遠閣。国登録有形文化財ですが、こちらは高遠城そのものとは何の関係もなく昭和になって建てられたもので、町民の集会場及び観光客の休憩施設となっている模様。

この城が同じ長野県内で、復元天守の建つ高島城@諏訪を押しのけて「百名城」に選出されたのは間違いなく桜効果だと思います。

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はなはだ盛り上がりを欠いた城址見学もそこそこに城を降りて、日帰り温泉「さくらの湯」へ。 もともと伊那谷は温泉に恵まれないところでしたが、掘削技術が進歩して今やどこにでも温泉が出ます。

【温 泉 名】高遠温泉
【施 設 名】さくらの湯
【入浴料金】600円
【交通手段】JR関東バス高遠駅から徒歩5分
【泉  質】アルカリ性単純温泉
【コメント】

 田舎の公的温泉施設の割には600円というのはちょっと高い気がします。

 湯はアルカリ性(PH9.6)らしくぬるぬる、つるつるした湯ざわり。泉温が27.8度と低いので当然加温。塩素・オゾンで滅菌とのこと。

 浴室の構造が非常に奇妙で、いったん内湯に浸かってからでないと露天風呂へ行けません。内湯から露天風呂へと上がる階段がいかにも取ってつけた風なところを見ても、もともと内湯しかなかったところに露天風呂を無理やり増設したのでしょう。

 温度計を見たところ、露天が42度で、内湯が40度の設定でした。

 休憩スペースとしてロビーにソファーが10数席置いてあるだけかと思ったのですが、奥に広大な畳敷きの休憩スペースがありました。カラオケもなく実に静か。首都圏の狭苦しい日帰り温泉施設に慣れると、追加料金なしで寝転がれるスペースがあるというのは誠に嬉しいものです。

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2009.11.12

伊那小旅(1)~ローメン「萬里」

まだオフ前のはずなんですが浦和のスケジュールがスカスカなので、しばらく旅行とラーメンの記事ばかり続きます。その旨ご了解願います。

新宿 7:30 (京王バス)  10:55 伊那市

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 昨年飯田に行ったばかりですが、今度は伊那へ行ってみました。伊那路へは高速バスが便利。でも1000円効果で週末の中央道は渋滞が慢性化。この日も伊那市まで20分遅れ。もはや週末の中央道は使い物にならないですなぁ・・・

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 今回の伊那往訪の主目的はローメン屋巡り。まずはローメン発祥の地と言われる老舗「萬里」へ。

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 JR伊那市駅から北へ。小さな川を渡ってすぐの交差点を右折。高遠へと向かう道からちょっと脇に逸れた、うらぶれた飲食店街の一角にあるので案外判り辛いかも。

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 店の手前には「ローメン発祥の地」の碑が建っています。往々にして「元祖」「本家」争いになってしまう中、料理の発祥地がはっきりしているというのは結構珍しいのでは?

 先客2、後客3。ガイドブックに頻出する有名店なので明らかに観光客と判る方もいますが、昼間から出来上がっている風の地元客も。早速「ローメン(680円)」を注文。

 店内は小さなカウンターが2列(計8席くらい?)と小上がりに大、小のテーブルが4卓。真ん中にグリルがついた焼肉屋のテーブルです。

 厨房では2代目のオヤジが奮闘。他にアシスタントのオバハンと、接客専門のオバハン。2代目といっても初代が長命だったためか、結構お年を召しています。

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 虫を食べることで知られる伊那谷ならではというわけではないのでしょうが、店内には怪しげな逸品の数々・・・

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 ぱっと見は焼きそばなんですが、軽くスープに浸かっています。ただこのスープは薄味。やや甘みがかっていますが、全体を支配するには至らず。適宜味付けをしながら食べることを前提とした食べ物です。

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店ではまず軽くソースと酢をかけることを推奨していますが、薄味とはいえ既にスープに浸かっているものにさらに液体調味料をかける意味がイマイチ判らん・・・ それより七味唐辛子なり、ゴマ油なり、おろしにんにくなりを投入して味の変化を楽しむほうがよさげ。但しゴマ油やおろしにんにくを入れすぎるとその味しかしなくなってしまうので、初手は七味でしょうな。

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 薄く茶褐色がかった麺は若干太めで緩く縮れており、随分とごわごわした食感。しかもスープの絡みが良くなく、おまけに時間が経ってもスープを吸いそうにありません。麺自体はまずまずですが、これではますますスープの存在意義が・・・

 具にマトン、キャベツ、キクラゲ。マトン大好きなんでその臭みは全く気になりません。でもこれらの具材を生かすならフツーに麺と一緒に炒めて焼きそば風に食べたほうがいいんじゃ???

 まぁ旅行の記念に食べる分には大いに結構かと思いますが、現状だとそれ以上のものにはなりそうにないですね。特にスープは改善の余地大でしょう。

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2009.11.11

上州散策(下)

上州散策(上)から続く)

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 水沢うどん街のそばには「水澤観音」。これまでうどん街にまで来ながら水澤観音へは寄ったことがなかったですが、これまた結構な賑わい。うどん街から階段を登って本堂へ向かうのが本来の参拝ルートのはずですが、いまや坂上の大駐車場からいきなり本堂の横っ腹へと入るのが当たり前。

 水沢のうどん街って水澤観音の参拝客目当てに出来たものでしょうが、周囲に人家なんてほとんどなくて地元客なんて全くあてにできず、しかも肝心の参拝客も冬季はガクンと減ると思われるにも関わらず巨大なうどん街がなりたつっちゅーところに首都圏市場のパイのでかさを実感。ただそれと同時に、麦作地帯の群馬で最も有名なうどんが水沢だというのはなんだかなぁという気も。

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「水澤観音」の名で広く知られていますが、正しくは「水澤寺」。そのご本尊が十一面千手観音。

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境内で一際目立つ六角二重塔。中に六地蔵尊が収められていますが、面白いことに六地蔵尊を土台ごとくるくると回すことができます。

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 水沢観音からさらに1時間ほど歩いてようやく伊香保温泉到着。坂の多い温泉街で、しかも何度来ても方向感を掴めませんが(笑)

 お参りして、うどん食って、温泉入って帰るってなんか「爺さん、婆さんホイホイ」みたいな流れですね、この界隈。

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 温泉街中心部からちょっと外れた大露天風呂まで行くのはかったるいので共同浴場「石段の湯」へ。

【温 泉 名】伊香保温泉
【施 設 名】石段の湯
【入浴料金】400円
【交通手段】伊香保温泉バス停から徒歩5分
【泉  質】カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物温泉
【源 泉 名】総合湯(混合湯)
【泉  温】源泉:41.6度 → 使用温度 42.0度
【入 浴 日】2009.10.10(土)
【コメント】加水・加温。循環ろ過せず。消毒せず。

 中には角が丸くなった長方形の湯船が一つだけ。絶えず10人くらい客がいて混雑。湯船の中はぐるっと段をなしていて、段に腰掛けて半身浴が楽しめるようになっています。露天風呂はありませんが、戸外にベンチが置いてあるのでそこで湯冷まししてはまた湯船へ。

 館内に休憩スペースもあって安価に手軽に日帰り温泉を楽しむには十分な施設ですが、ビールを売っていないのが難といえば難でしょうか。

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